12-25.11.08『お金と心』

旅のエッセイ
このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.11.09『お金と心』

ハンピはのんびりできて自然だらけでとてもいいところだけれど、旅行者によって成り立ち、観光地化することによって生計をたてているような街だから、ツーリスト価格(旅行者が現地の人の数倍の価格を要求される)が徹底している。
それはある程度仕方が無いことだと思う。

でも、納得できない取り方もある。
チャイ(ミルクティ)がローカルより高い上にツーリストにはポットから出したもの、ローカルには作りたてを出す。
それはないよね?
チャイは注文するとその場で作ってくれるもの。(南に来てからポットが増えつつはあるけれど)
その区別はちょっと許せない。

まあ納得いかないならば飲まなければいい話。
開き直って久しぶりに値段の書いてあるレストランで、いいコーヒーを飲む。

寺院でも、必ず靴を脱がなくてはいけなくて、それはよく分かっている。
でも、必ず靴を脱がなくてはいけないにも関わらず、靴を預けるのにお金がかかる、とかね。
それもなんだろう…。
彼がきれちゃって、結局中に入れず。
きれるのは違うと思うけど、ちょっとやな感じ。

さらに腹が立つのが物乞い。
本当にお金がない物乞いとは違う。
ツーリストを見たらとりあえずせびってみよう、みたいな人たちがたくさんいる。
そういう人に限って、
「たった10ルピーじゃないか。」
と言ってくる。
たった?
そう思ってる人にあげるお金は1ルピーもない!
たったと思っているなら自分で稼いで!
日本人がどれだけ身体を酷使して働いているか分かる?
と言いたくなってしまう。

私たちはリキシャを使う無駄なお金はないので、虫がブンブン飛んでるバススタンドでバスを待つ。
せびってきたその人はもらえないことがわかると涼しい顔してリキシャに乗って行った。
そんなもんなんだよね。
それでもあげてしまう人がいるからそういう人が増えるわけで。
いきなりすれ違っただけでお金を要求してくるなんて失礼極まりないと思うけれど、神経が違うんだろうなぁ。

今日は色々考えた日。

—From the present me


お金に対する気持ちってほんとに不思議。
たくさんはなくてもいいのに
入ってこないと急に不安になって重みが変わっていく。頭の中がお金のことでいっぱいになっていく。
今つかいたい分より今入ってくる分が少しでも多ければお金のことは考えなくてもいいのに。

明日の日記はこちらに続く

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