12-25.12.30『バラナシの火葬場で感じた「ただそこにある死」』

旅のエッセイ
このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.12.30『バラナシの火葬場で感じた「ただそこにある死」』

今日も晴れたので午前中は日向ぼっこ。
アップルパイが美味しいと聞いた釜焼きのピザのお店へ。
うん、確かにおいしい!
でもオーダーしたものと違うものが…結局二個頼んだのに全く悪びれない…。

最近高くてもおいしいならば日本で考えれば安いからいいか!
思考になってきてしまった。

午後は火葬場へ。
煙を浴びすぎて目が痛い。

ガンジス川まで運ばれてきてから燃やされ、燃えていくまでを見る。

燃えていく途中で腕が持ち上がってきて、寝っ転がって指揮をしているような格好に。

最初は布で巻かれていても、だんだん人型になっていく。
腕ははっきりと人の腕が見えていて、火が燃え移りチリチリと燃えていく。
頭も燃えていく。
頭蓋骨が見える。
どんどん燃えて黒い塊になっていく。



不思議なのは、みていてもなんとも思わないということ。
なんとも思わないというのは少し違うかも。

思うことはあるけど、
たとえば、悲しいね…とかもないし、
うげー気持ち悪い、とかもない。

そこで人の死体が燃えているわけだから、それはただ想像すると直視できないものと思ってしまいそうなもんだが、そういう感じはない。

ただ、そこで燃えている。
ただ、それを見ている。

それだけ。
何がそこで燃えていてもあまり変わらないかも。

遺族も誰だか分からないくらい誰も彼も普段着だし、泣いてるわけでもないし、ずっと神妙に見守っているわけでもない。

あちこちで死体を燃やしていて、そのすぐ横で灰をかき集めてガンガーの水でさらって金目のものがないか探してる人たちがいて、肉片あさってる犬たちがいて、燃やす前につけてる花を食べてる牛やヤギがいて、死体を流しているすぐ横でしっかり石鹸まで使って水浴びしている人がいて、水浴びして濡れた服を死体を燃やしている火で乾かしている子どもがいて…

全てがただそこにある。
って感じ。

ほんと不思議な国だわぁ。

—From the present me


このインドの火葬場でインドのお葬式の一連をみたことは自分にとって割と大事な意味を持つ出来事だったと思う。

そもそも私は日本のお葬式にあまりしっくりきていなくて、
遺影を見たらその人が蘇ってきてとても悲しいのだけでど、
果たしてこんな顔だっただろうか? という、もうその人ではない亡骸に対して無の感情になってしまう自分とか、神妙な感じに耐えきれずにお経にハモりたくなってしまったりとか、そんな自分は良くないのだろう、と思っていた。
不謹慎、というやつ。

でもそういう「なんか自分おかしいのかな」っていう違和感がインドのお葬式では全くなくて。あぁこれだよな。と思った。
これが自然だわって、全てがスッと入ってきた。

良い経験をした。
私自身もお墓とかなくていいからどこか自然に返してほしい。

明日の日記はこちらに続く

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