このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.12.07『デリーの熱気とリシケシの静寂。「ウザ楽しい」北インドへ帰ってきた!』
今朝もはよから騒ぎ出すインド人。歌声まで聞こえる。朝の5時。
それでなくても今朝は寒すぎて起きてしまっていた。
冷えた身体にチャイがしみる。
こんなに寒いのに半袖のインド人がいる。
震えてるけど…。掛け布団巻いてればいいのにね。
明け方途中の駅で人がたくさん乗り込んできて、
「ここはデリー?」
と聞いているインド人がいたけれど、北インド人と南インド人では言葉も違うし、英語の発音も違うから意思疎通に難航していた。
同じインドなのに面白い。
ここはマトゥラーだ、と言っているのを聞いて、
「じゃああと1、2時間か」
と分かった私もだいぶインドに慣れてきた感じがして嬉しい。
朝日がキレイで窓の外を眺めながら、同じ席のおっちゃんとお話。
英語がお互い聞き取れなくて話ができなかったインド人の女性が、「良い旅を」と話しかけてくれたので、最後に少しだけお話。
デリーにシスターが住んでいるから会いにきたということ。
すごく嬉しそうな顔で話してくれて、さらにホームでの再会の場面では本当に嬉しそうに抱き合っていた。
なんかいいなぁ。ちょっと恋しくなっちゃうね。
当初はデリーで一泊する予定だったけれど、泊まるのが面倒になり、今日リシケシまで行く決意をする。
ローカル窓口では2時間前にしか予約ができないようなので、8時から開いているツーリスト専用窓口へ。
彼も利用は初めてらしい。
入ってびっくり。
すでに長蛇の列。
列と言っても椅子がきちんと用意されていて、少しずつずれながら順番を待つ感じ。
なんか気持ち悪い…。
どうせこんなに待つのならば、横入りされたり押されたりして腹立つけど、なんかローカル窓口の方がいい、と思ってしまう。
私は日本に帰っても、逆カルチャーショックにはならないだろうとたかをくくっていたのだけれど、この空間を気持ち悪いと思った時点で、もう昔の私とは違うのだなと気づいた。
日本で引きこもりになったらどうしよう。
2時間待ってようやくチケットゲット。
ゲットした電車は15時発。
せっかく時間があるので、オクラ丼の食べられるレストランへ。
メイン通りを歩いていると、
「ジャパーン?」
「トーキョ? オーサカ?」
「チョトミテー!」
と、懐かしい! これだよこれ!!
この狭いのに無理矢理入ってきたリキシャにひかれそうになる感じも懐かしい!
ウザいんだけど、なんか嬉しい! やっぱりこの北インドの適当にからんでくる感じが好きだわぁ。
久しぶりのオクラ丼は焦げていてちょっと残念だったけど、ここで好都合な事態が。
私がトイレを借りている間にお会計をしようとした彼。
500ルピーを出すと、固まったスタッフの子。
この若いスタッフの子は無口。
どうやらお釣りがなかったらしい。
「ユーハブチェンジ?」
ノー。と彼。
併設のホテルに助けを求めに行ったようだがスタッフおらず。
考えた末のスタッフくんの結論は、
「レイター。」
えー!
後で私たちが細かいお金ができてからでいいらしい(笑)戻ってこなかったらどうすんだ!
これをチャンスと、すかさず彼は、
「じゃあ人質に荷物おいていくね!」
今11時。出発15時。でかいバックパックが、時間を潰すには邪魔だったのだ。
「あっそう、じゃあここにおいていいよ」
とキッチンの中に我々の荷物を入れてくれる。
ラッキー♫
おかげで身軽に買い物できる!
今まで南国にいたので、防寒具は日本から持参したユニクロしか持っていない私たち。
彼はズボンと厚手のシャツと靴下。
私は靴下と帽子(頭巾?)を購入。
こっちの女子の靴下はサンダルが主流だから足袋型がベターなよう。助かる!
おかげでスムーズに買い物を済ませ、荷物を受け取り駅へ。
車内食を期待したけれど、安い方の席にしたらやっぱり出ないみたい。そらそうか。
でもハルドワールまで4時間はかなり画期的!
途中で、「ネパーリーか?」と話しかけてきてくれたじいちゃんがいて、そこから相席の人達とも交流。
お互いの名前をカタカナとヒンディーで書きあったり、ガイドブックを見せたり。
こういう感じ、久しぶり!
北インドの人は一回話すと結構ずーっとおしゃべり(笑)
今回も結局ハルドワールまで質問ぜめ。
やっぱりウザ楽しい!!
北楽しい!!
南は南でごはんも美味しいし、人々に落ち着きがあるし、ある程度の秩序がたもたれて余裕がある感じがして明るく気さくな感じも良かったけど、
えぇっー!!
みたいな楽しさや驚きはやっぱり北の方がある。
戻ってきてよかった。
ハルドワールへの到着が少し遅れ20時、リシケシへはバスで向かう。
幸いにもそう待たずに、バスを拾うことができた。
彼に脅されていたほどの寒さではまだなく一安心。
真っ暗の中に派手なライトアップが所々に。
音楽を大音量で流し、道端で踊る人達。
どうやら今日は結婚式が多いよう。
ライトアップのせいもあってか、前とは全く違う道にも思える。
無事リシケシに到着し、以前と同じ宿へ。
覚えていてくれたのが嬉しい。
宿の近くでもズンドコ流れる大音量。
おかげで23時半まで気兼ねなくドライアーを使ったりできた、とわかったのはズンドコが鳴り止んだ後。
静かすぎてなんと耳鳴りがするほど!
シーンと、というよりキーンという静けさ。
どこからかいびきまで聞こえてくる。
いままで48時間くらい列車のガタンゴトンを聞き続け、その前も毎晩プープーうるさい中で寝ていたのでびっくり。
やっぱりリシケシいいわぁ。
なぜこんなに北と南で違うんだろうと今更気になって歴史を調べてみた。
何となく北インドの方が「THEインド」と思ってしまっていたけれど、侵略の影響も少なく元々のインドが純粋に保たれているのは南インドだと知った。
クンバコーナムの寺院で特別に観光客は入れない場所に入れてもらえたエピソードを書いたけれど、結界を守るために「神様の家(聖域)に異教徒を安易に入れない」という厳格なルール”アガマ”を今でも頑なに守っていたからだったみたい。
それでも、単に異教徒だから、とか、観光客だから、と言う表面的なことではなく、一番大切にしているのは形式よりも「バクティ(信愛)」だから入れてもらえた。
なんかすごく嬉しいな。
何もわかっていなくても「これはきっとすごく特別なことをしてもらえている」と分かることもすごいし、こうして背景が分かるとさらに感動する。
調べてみて良かった。
それでなくても今朝は寒すぎて起きてしまっていた。
冷えた身体にチャイがしみる。
こんなに寒いのに半袖のインド人がいる。
震えてるけど…。掛け布団巻いてればいいのにね。
明け方途中の駅で人がたくさん乗り込んできて、
「ここはデリー?」
と聞いているインド人がいたけれど、北インド人と南インド人では言葉も違うし、英語の発音も違うから意思疎通に難航していた。
同じインドなのに面白い。
ここはマトゥラーだ、と言っているのを聞いて、
「じゃああと1、2時間か」
と分かった私もだいぶインドに慣れてきた感じがして嬉しい。
朝日がキレイで窓の外を眺めながら、同じ席のおっちゃんとお話。
英語がお互い聞き取れなくて話ができなかったインド人の女性が、「良い旅を」と話しかけてくれたので、最後に少しだけお話。
デリーにシスターが住んでいるから会いにきたということ。
すごく嬉しそうな顔で話してくれて、さらにホームでの再会の場面では本当に嬉しそうに抱き合っていた。
なんかいいなぁ。ちょっと恋しくなっちゃうね。
当初はデリーで一泊する予定だったけれど、泊まるのが面倒になり、今日リシケシまで行く決意をする。
ローカル窓口では2時間前にしか予約ができないようなので、8時から開いているツーリスト専用窓口へ。
彼も利用は初めてらしい。
入ってびっくり。
すでに長蛇の列。
列と言っても椅子がきちんと用意されていて、少しずつずれながら順番を待つ感じ。
なんか気持ち悪い…。
どうせこんなに待つのならば、横入りされたり押されたりして腹立つけど、なんかローカル窓口の方がいい、と思ってしまう。
私は日本に帰っても、逆カルチャーショックにはならないだろうとたかをくくっていたのだけれど、この空間を気持ち悪いと思った時点で、もう昔の私とは違うのだなと気づいた。
日本で引きこもりになったらどうしよう。
2時間待ってようやくチケットゲット。
ゲットした電車は15時発。
せっかく時間があるので、オクラ丼の食べられるレストランへ。
メイン通りを歩いていると、
「ジャパーン?」
「トーキョ? オーサカ?」
「チョトミテー!」
と、懐かしい! これだよこれ!!
この狭いのに無理矢理入ってきたリキシャにひかれそうになる感じも懐かしい!
ウザいんだけど、なんか嬉しい! やっぱりこの北インドの適当にからんでくる感じが好きだわぁ。
久しぶりのオクラ丼は焦げていてちょっと残念だったけど、ここで好都合な事態が。
私がトイレを借りている間にお会計をしようとした彼。
500ルピーを出すと、固まったスタッフの子。
この若いスタッフの子は無口。
どうやらお釣りがなかったらしい。
「ユーハブチェンジ?」
ノー。と彼。
併設のホテルに助けを求めに行ったようだがスタッフおらず。
考えた末のスタッフくんの結論は、
「レイター。」
えー!
後で私たちが細かいお金ができてからでいいらしい(笑)戻ってこなかったらどうすんだ!
これをチャンスと、すかさず彼は、
「じゃあ人質に荷物おいていくね!」
今11時。出発15時。でかいバックパックが、時間を潰すには邪魔だったのだ。
「あっそう、じゃあここにおいていいよ」
とキッチンの中に我々の荷物を入れてくれる。
ラッキー♫
おかげで身軽に買い物できる!
今まで南国にいたので、防寒具は日本から持参したユニクロしか持っていない私たち。
彼はズボンと厚手のシャツと靴下。
私は靴下と帽子(頭巾?)を購入。
こっちの女子の靴下はサンダルが主流だから足袋型がベターなよう。助かる!
おかげでスムーズに買い物を済ませ、荷物を受け取り駅へ。
車内食を期待したけれど、安い方の席にしたらやっぱり出ないみたい。そらそうか。
でもハルドワールまで4時間はかなり画期的!
途中で、「ネパーリーか?」と話しかけてきてくれたじいちゃんがいて、そこから相席の人達とも交流。
お互いの名前をカタカナとヒンディーで書きあったり、ガイドブックを見せたり。
こういう感じ、久しぶり!
北インドの人は一回話すと結構ずーっとおしゃべり(笑)
今回も結局ハルドワールまで質問ぜめ。
やっぱりウザ楽しい!!
北楽しい!!
南は南でごはんも美味しいし、人々に落ち着きがあるし、ある程度の秩序がたもたれて余裕がある感じがして明るく気さくな感じも良かったけど、
えぇっー!!
みたいな楽しさや驚きはやっぱり北の方がある。
戻ってきてよかった。
ハルドワールへの到着が少し遅れ20時、リシケシへはバスで向かう。
幸いにもそう待たずに、バスを拾うことができた。
彼に脅されていたほどの寒さではまだなく一安心。
真っ暗の中に派手なライトアップが所々に。
音楽を大音量で流し、道端で踊る人達。
どうやら今日は結婚式が多いよう。
ライトアップのせいもあってか、前とは全く違う道にも思える。
無事リシケシに到着し、以前と同じ宿へ。
覚えていてくれたのが嬉しい。
宿の近くでもズンドコ流れる大音量。
おかげで23時半まで気兼ねなくドライアーを使ったりできた、とわかったのはズンドコが鳴り止んだ後。
静かすぎてなんと耳鳴りがするほど!
シーンと、というよりキーンという静けさ。
どこからかいびきまで聞こえてくる。
いままで48時間くらい列車のガタンゴトンを聞き続け、その前も毎晩プープーうるさい中で寝ていたのでびっくり。
やっぱりリシケシいいわぁ。
—From the present me
なぜこんなに北と南で違うんだろうと今更気になって歴史を調べてみた。
何となく北インドの方が「THEインド」と思ってしまっていたけれど、侵略の影響も少なく元々のインドが純粋に保たれているのは南インドだと知った。
クンバコーナムの寺院で特別に観光客は入れない場所に入れてもらえたエピソードを書いたけれど、結界を守るために「神様の家(聖域)に異教徒を安易に入れない」という厳格なルール”アガマ”を今でも頑なに守っていたからだったみたい。
それでも、単に異教徒だから、とか、観光客だから、と言う表面的なことではなく、一番大切にしているのは形式よりも「バクティ(信愛)」だから入れてもらえた。
なんかすごく嬉しいな。
何もわかっていなくても「これはきっとすごく特別なことをしてもらえている」と分かることもすごいし、こうして背景が分かるとさらに感動する。
調べてみて良かった。
明日の日記はこちらに続く。


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