12-25.12.06『35時間列車と無賃乗車。戦う彼と、みかん一つ買えなかった私』

旅のエッセイ
このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.12.06『35時間列車と無賃乗車。戦う彼と、みかん一つ買えなかった私』

首が定まらずなかなか眠れない。
35時間列車の旅はまだまだ始まったばかり。
寝たり起きたりを繰り返しながら夜が明ける。

明け方になるとかなりの冷え込み。南国から来た私たちには厳しい寒さ。
こんな時の強い見方がユニクロ。
ライトダウンを着込んで再度眠りにつく。

朝もはよから賑やかな車内。
5時も過ぎればチャイ売りの声が響き、起き出したインド人は寝ている人への気遣いなんて微塵もない大声で雑談。
朝から元気すぎる。

しかたがないので起きる。
まだ先は長いのに。

そしてまたやってきたサリーを着た男の人たち。
また手をパンパン叩いてカツアゲのごとくお金を回収している。
今までだったら払わないけれど、ドーサさんに神の化身と聞いたからには払わないわけにも行かず。

でも、「おい、ネパーリー! きぃとんのかぁ?」
みたいな様子で怖かった…。
毎度ネパーリーと決めつけられるし。

日中になると、色んな駅から人が乗ってくる。
中にはチケットを持っていないのに乗ってくる人もいて、その人たちのせいで、一席分のチケットを持っている私たちも座席をつめることになったりもする。

私は自分がそれで座れなくなるなら文句は言うべきだと思うけど、別に座れるなら言い争うのも面倒だし詰めればいいじゃん、と思うんだけど、そういう人のせいで自分のスペースが狭くなる、ということが許せない彼。

あぁ…これはめんどくさいことになるぞ。

「面倒だからなにも言わないでね!」
と早めに諌めていたものの、何かでぷっつんしたのか

「お前らチケットもっとんのかぁ? 見せてみぃや! ないならどけー!」

やっぱり我慢できなかったか。

結構な剣幕で怒鳴られても、一駅だからいいじゃん、とさほど気にしていなそうなおっさんたちもおっさんたち。

周りの人とはこれからあと20時間以上一緒にいるのに、感じ悪い印象になったら嫌だな…と無駄にがっくりきているのは多分私だけ。
多分インド人も気にしてない。
無駄にヤキモキしてつかれる。
多分彼も無駄に戦って疲れるからノーチケットのインド人、この席に座るのほんとやめて。

おっさんたちだけでなく、次々乗ってくる多分チケットのない人々。
なんで我が物顔で座ってるんだろ。
せっかく除菌した私の席に床においているであろう荷物置かれたし。

キレ散らかす彼も彼だな、と思いながら、チケットがないのに当たり前のように乗車してくる人たちにも「なぜ?」という疑問が頭を埋め尽くす。
悪いことしてる意識なんてないみたい。

言われなきゃ分からない。言われなきゃなにしてもOK。ばれなきゃ無賃乗車もOKの世界なのかな?
やりどころのない怒りと疑問。
ちょっと愚痴りながらやり過ごせたら気も楽になっただろうに、もっとキレ散らかしている彼とはそれもできず、内なる2つの怒りを激らせながらじっと耐える。

まだまだ11時。先が思いやられる。

お昼が終わるとお昼寝タイムらしく、次々に寝床を作るインド人。

彼はインド人のお昼寝タイムよりも少し早くお昼寝を始めていた。
車内販売の人が売りにきたみかん。食べたかったのに、叩いても起きなかったので我慢。

拗ねて私も寝る事に。
起きると隣のインド人が男性2人で恋人のように寝ている。
恋人だとしても少し不快なんじゃっていうこの狭いスペースにピタッとくっついてお腹に手まで添えてる。
ほんとインド人の他人との距離感すごいわ。

私たちの英語はやっぱり南インドの人々には全然通じないようで、聞かれたことに英語で応えたつもりでも、「あなた英語話せる?」と言われてしまう。
一方英語話せなくても構わず現地語でなにか言ってくる人もいる。
英語も現地語もわからん。

それでも機内食を売りにくる人が話す言葉がヒンディーになってきて、金額など聞き取れるものが増えてきたり、少しずつでも着実に北インドに近づいている感じがうれしい。

今半分をこしたところ。中部インドくらいかな。

ただ電車に乗っているだけなのに、なぜか変なのがいっぱいくる。

布を広げて、箒みたいなものでいきなり頭を勝手に叩いてきて金をくれ、という人。

勝手に掃除(のフリ。綺麗にはなっていない)をして金をくれ、という人。
さっきなんか、むしろ、適当な掃除のフリのせいでこぼれていたチャイのこぼれ面積を広げた上に彼にかかった。

あとはチャイを買ったらティーパック(インドのチャイがティーパックなんて! それはチャイではなくただの紅茶!!)で、その上そのティーパックをさっきまでお金を触っていた手でむんずりとつかんでカップへといれ、しかもそのパックがどこから出てきたかと思ったらなんとポケットの中!

あんぐり!!

まさにあんぐりという顔はこの顔だろうという顔で固まってしまった。

まだまだ先が思いやられる。
ずっと先が思いやられている。でも電車は止まらず動いているから。少しずつ着実に、近づいている。

なぜチケットがないのに乗れるんだ? とイライラを募らせた朝。
どうやらランダムにチケットチェックはしているようだ。しかしなにやらいつも同じ若い子ばかりチェックしている。
彼らはちゃんとチケットを持っている。
でも立っていたり、一つの席に数人で座っている。

それはなぜか? と考える頭はないのか?
彼らが立っているから彼らを疑う。
チケットチェックをして彼らはチケットを持っているなら、じゃあその席に座ってるやつはなんなのさ? なぜそちらを調べないのか?

今も私の隣にタダ乗りの人が幅をきかせて私は縮こまって座っているけれど、この人のチケットチェックはしない。
若いだけで疑う。なんだそら。
何番の席がどこからどこまで乗るか、なんて管理しようと思えばできるはず。
体制が杜撰すぎる。
まあ怒っても仕方がないんだけど、ひょうひょうと無賃乗車してる人達ってなんなんだろう。

早いものでなんだかんだ24時間が経過。
あとは寝て起きたらデリーだ!
途中、以前行った、ボーパールを通過。懐かしや。

ふぅ、寝るかと準備をしているとまたざわめきだしたゴキブリたち!!

懲りないつら!

「わわ! また出た!」
と言ってもそこら中にいるので彼もかなり冷たい対応。
また1人で虫除けをシュッシュッとかけて退治(のつもり)。

ふと横を見るとさっきくっついて寝ていた男の人たちが、他のベッドも空いたのにまだあえて一緒に寝てる。
今度は頭と足を逆側にして。

私、身内とでもそれは嫌だわ!

明日はデリーで一泊のつもりが、列車の時間があえばそのままリシケシまで強行突破することに。
明日もいい日でありますように!

—From the present me


なぜ私はみかんすら1人で勝手に判断して買うことを許されていなかったんだろう。
こんなに色々と衝撃的なことが起きている電車の中のエピソードでも、今の自分から見るとそれが一番の衝撃だった。

離婚した後に外食をした時も、自分で好きなメニューを選べる、ということがとても新鮮だったことを思い出した。
何の権限も与えられていなかったわけではもちろんないはずだけれど、当たり前のことのように、彼が食べたいものを2つ頼んで、2種類のメニューを2人で分けることが多かった。
せっかく自分で食べたいメニューを選べるのに、どれが食べたいかよくわからなかった。

自分で選択しないことが日常として染みついてしまうのってとても怖い。
しかも当時は別にそのこと自体には不満を持っていなかったし、当然全てを強制されていたわけではないのに自然とそうなってしまっていた。
誰といるかで自分は容易に変わる。その時はその自分でいた方が心地が良かったからそうしていたのだ。

明日の日記はこちらに続く

コメント