このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.10.14『怒りと優しさ』
ニューデリー駅からマトゥラーに向かうため、自由席ジャーナルの列車をとり、ホームで待つ。
1時間半。
ホームが汚いので、1席に荷物をおき、私と彼で1席ずつ使う。
もちろん立っている人が増えてくれば、ひとり1席。でも荷物は下には置きたくないから自分が立つ。
今はまだ他にも空いている席や、椅子ではないけれど座れるようになっているスペースがある。
そこに子どもを抱いた母親と父親の親子三人が来た。
キャスター付きのスーツケースなのに、それでも荷物運びをさせているようなお金持ちだ。
「子どもを抱いているから彼女を座らせたい。荷物をどけてくれないか。」
と言われる。
もちろん他に席がなければ譲るべきところ。
私も、子どもを抱いているし、確かに荷物で1席使っているのは悪いから、自分が立とうかな、と思った(荷物はどうしても下には置きたくない、という汚さだから)
でもいやまてよ。
なんでここ?
他にも座れるところはもう少し先に行けば空いている。
椅子じゃないといやなのか?!
しかもすぐ隣には、膝にも乗せられそうな小さな手さげだけを隣の席においている人もいる。
なんでここ?
しかも、ゆずってくれませんか?という態度でもない。
私と彼でどうしようか話していると、
「なんで理解しないんだ?」
などとかなり偉そう。ゆずってもらって当然という態度。
なんか譲りたくない。
インドって、もうカーストはなくなったとはいえ、やっぱりカーストが上のやつはかなりえばってる。
狭い道を人がひしめき合って歩いていて、バイクの方が場違いなのに、プープー鳴らして我が物顔で通って行く金持ちも多いし、自分たちは優遇されて当然という態度の人もたくさんいる。
もちろんいい人もいるけどさ。
なんて考えてるうちに他の席が空いて、その人たちはそっちへ移動。
でもその後も、いろんな事をぐるぐる考えていた。
そして列車が到着。
自由席は戦場。
みんな我先にと突っ込んでいく。
私たちも負けずにぎゅうぎゅうになりながら中へと進む。
まだ席に座れそうな場所を発見!
なのに荷物をおこうとすると、なにやらおばさんが発狂。
でもヒンディーだからなんでそこに座ったらダメなのか全く分からない。
すごい勢いでなにか言ってくるおばさん。
負けじと戦う彼。
席が空いてるのに座らせてもらえないから、ついに彼はキレて、無理矢理荷物棚に寝そべっちゃった。(荷物棚も寝てる人は多数。そういう使い方自体はアリ)
おばちゃんもおばちゃんなんだけど、ほんと彼も彼で、幼稚な暴言を吐くから本当に嫌だ。
私がとめても聞かないし、すみません、すみませんと周りに謝る。
もうやだ。
そんな暴言はいた奴の連れなのにみなさん本当に優しくて、私が立っていたらここに座れと席をつめてくれる人がたくさん。
インドのバスや電車はそうやってみんなでつめてぎゅうぎゅうに座るものとはいえ、こんな騒ぎを起こしてるのに優しい…となんだか感激。
英語が話せる人に、私が代わりに謝ると、怒っちゃってるからしょうがないね、とかなり寛大。
その上彼は寝やがったのか、ポケットから財布が落ちて上から降ってきたらしい。(荷物棚で寝てるから)
私は気づかなかったからそのままとられても仕方が無いくらいなのに、ちゃんと私に渡してくれて。
みなさん温かいです。
おばちゃんがなんで座らせてくれなかったのかは結局分からないけれど、さっき子連れの母親に席を譲らなかった因果なのか、彼が図々しすぎたのか、それは定かではないが、怒鳴られたら怒鳴り返すしかできない彼なんて大っ嫌い。
もちろんマドゥラーに着いてから話し合い。
日本人とは思えない彼の行動や思考回路は時々すごく疲れる。
そのせいで精神的に落ちていた事もあり、せっかく到着したマトゥラーの街並みは私には全く魅力的にうつらず、散乱するゴミやハエ、排気ガスにうんざり。
汚さの種類でいったらデリーとさほど変わらず、少なくとも今の私のテンションを上げてくれるような街並みではない。
その上動物たちがものすごく汚い。というか可哀想な状態、というか、とにかくものすごく不衛生で、肉見えてるんじゃってくらいの怪我を追っている犬とか、痩せすぎて顔と身体がアンバランスな馬とか、ほんと見てられない。
そんな街を歩いていたら、精神的な疲れとあいまって、風邪をひいたみたい。
精神を鍛えに来てるのに。ダメだ。
好きな街ではすごく元気なのに、嫌いな街だとすぐ体調に出る。
喉が弱いから排気ガスが多いところで喉を痛めるという外的要因もあるにせよ、精神的なものが主な気がする。
ほんとダメだ…。
こういう類の嫌な思いはこれから先も続くことになって、それはずっと分かり合えることはなくて、結果お別れすることになった。
なんでも自分の意思を主張せずに飲み込んでしまうことも違う、というのは彼のおかげで学んだことでもあるけれど、主張は同じでも、言い方とか、どういう言葉を使うかってすごく大事。
1時間半。
ホームが汚いので、1席に荷物をおき、私と彼で1席ずつ使う。
もちろん立っている人が増えてくれば、ひとり1席。でも荷物は下には置きたくないから自分が立つ。
今はまだ他にも空いている席や、椅子ではないけれど座れるようになっているスペースがある。
そこに子どもを抱いた母親と父親の親子三人が来た。
キャスター付きのスーツケースなのに、それでも荷物運びをさせているようなお金持ちだ。
「子どもを抱いているから彼女を座らせたい。荷物をどけてくれないか。」
と言われる。
もちろん他に席がなければ譲るべきところ。
私も、子どもを抱いているし、確かに荷物で1席使っているのは悪いから、自分が立とうかな、と思った(荷物はどうしても下には置きたくない、という汚さだから)
でもいやまてよ。
なんでここ?
他にも座れるところはもう少し先に行けば空いている。
椅子じゃないといやなのか?!
しかもすぐ隣には、膝にも乗せられそうな小さな手さげだけを隣の席においている人もいる。
なんでここ?
しかも、ゆずってくれませんか?という態度でもない。
私と彼でどうしようか話していると、
「なんで理解しないんだ?」
などとかなり偉そう。ゆずってもらって当然という態度。
なんか譲りたくない。
インドって、もうカーストはなくなったとはいえ、やっぱりカーストが上のやつはかなりえばってる。
狭い道を人がひしめき合って歩いていて、バイクの方が場違いなのに、プープー鳴らして我が物顔で通って行く金持ちも多いし、自分たちは優遇されて当然という態度の人もたくさんいる。
もちろんいい人もいるけどさ。
なんて考えてるうちに他の席が空いて、その人たちはそっちへ移動。
でもその後も、いろんな事をぐるぐる考えていた。
そして列車が到着。
自由席は戦場。
みんな我先にと突っ込んでいく。
私たちも負けずにぎゅうぎゅうになりながら中へと進む。
まだ席に座れそうな場所を発見!
なのに荷物をおこうとすると、なにやらおばさんが発狂。
でもヒンディーだからなんでそこに座ったらダメなのか全く分からない。
すごい勢いでなにか言ってくるおばさん。
負けじと戦う彼。
席が空いてるのに座らせてもらえないから、ついに彼はキレて、無理矢理荷物棚に寝そべっちゃった。(荷物棚も寝てる人は多数。そういう使い方自体はアリ)
おばちゃんもおばちゃんなんだけど、ほんと彼も彼で、幼稚な暴言を吐くから本当に嫌だ。
私がとめても聞かないし、すみません、すみませんと周りに謝る。
もうやだ。
そんな暴言はいた奴の連れなのにみなさん本当に優しくて、私が立っていたらここに座れと席をつめてくれる人がたくさん。
インドのバスや電車はそうやってみんなでつめてぎゅうぎゅうに座るものとはいえ、こんな騒ぎを起こしてるのに優しい…となんだか感激。
英語が話せる人に、私が代わりに謝ると、怒っちゃってるからしょうがないね、とかなり寛大。
その上彼は寝やがったのか、ポケットから財布が落ちて上から降ってきたらしい。(荷物棚で寝てるから)
私は気づかなかったからそのままとられても仕方が無いくらいなのに、ちゃんと私に渡してくれて。
みなさん温かいです。
おばちゃんがなんで座らせてくれなかったのかは結局分からないけれど、さっき子連れの母親に席を譲らなかった因果なのか、彼が図々しすぎたのか、それは定かではないが、怒鳴られたら怒鳴り返すしかできない彼なんて大っ嫌い。
もちろんマドゥラーに着いてから話し合い。
日本人とは思えない彼の行動や思考回路は時々すごく疲れる。
そのせいで精神的に落ちていた事もあり、せっかく到着したマトゥラーの街並みは私には全く魅力的にうつらず、散乱するゴミやハエ、排気ガスにうんざり。
汚さの種類でいったらデリーとさほど変わらず、少なくとも今の私のテンションを上げてくれるような街並みではない。
そんな街を歩いていたら、精神的な疲れとあいまって、風邪をひいたみたい。
精神を鍛えに来てるのに。ダメだ。
好きな街ではすごく元気なのに、嫌いな街だとすぐ体調に出る。
喉が弱いから排気ガスが多いところで喉を痛めるという外的要因もあるにせよ、精神的なものが主な気がする。
ほんとダメだ…。
—From the present me
こういう類の嫌な思いはこれから先も続くことになって、それはずっと分かり合えることはなくて、結果お別れすることになった。
なんでも自分の意思を主張せずに飲み込んでしまうことも違う、というのは彼のおかげで学んだことでもあるけれど、主張は同じでも、言い方とか、どういう言葉を使うかってすごく大事。
明日の日記はこちらに続く。


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