12-25.10.10『ボルボとリラックスのあいだで』

旅のエッセイ
このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.10.10『ボルボとリラックスのあいだで』

ダラムサラからデリーへのツーリストバス、「ボノボ」だか「ボルボ」だかっていうツーリストバス。水、ブランケットつき、リクライニングOKのすごくいいバスみたい!
宿のおっちゃんが「650ルピーで手配するよ!」と入っていたのに、いざお願いしてみると、予約がいっぱいで取れないとかで1000ルピーかかると言われる…。

おっちゃんいい人だから嘘ではないと思うのだけど、解せない。
安い方のリラックスバスというやつなら、600ルピーでとれるらしい。
でもそんないいバスの元値と50しか変わらずにランクが落ちるのも腑におちず、おっちゃんには悪いけど街で他をあたることに。

おっちゃんが600と言っていたバスが、街で交渉したら500になったのでこのバスで発つことに。
そしてバスターミナルでいざバスをみると、ボルボだかが輝いて見えるほどの見た目の差(笑)
乗り込むと振ってある座席番号まで重複してたり、番号の振り方のセンスが自由すぎるし。

エンジンがかかると見た目通り心許ない音を立てている。
山路なのにかなり不安。

そして山路も予想通り揺れる揺れる。
もし直前にごはんを食べていたらあわや大惨事…。
胃がふわふわチクチクする。
そのうえ何やらガガガガと急にエンジン付近で何かがひっかかる音がして一時停止。

バス代をケチったことをかなり後悔…。
いや、でも2人で1000ルピー変わるのはデカすぎるし!仕方が無い!頑張れ私!!!!

18時に出たのに22時まで休憩なし。
また地獄のトイレ我慢の旅。しんどい。
休憩後は山路も少しなだらかになり、それでも結構揺れているけれど、だいぶ神経も図太くなったのかアジアの時よりも寝られるように。
首が痛くなったら起きてストレッチ。痛くなったら起きてストレッチ。の繰り返し。

予想通り朝までトイレ休憩はなく、ついにトイレ行きたくても諦めて全てを受け入れる術を身につけた。
人間の適応能力ってすごい。

そしてまたやっとこさ到着したと思ったら、ここ、どこ、という場所に降ろされる。
もう限界レベルにトイレ行きたいのにバスターミナルじゃないからありそうもない。
仕方なくリキシャを100ルピーで交渉し、オールドデリーまで。

とおっ!
よくもまぁこんな遠くに降ろしてくれたな…!
トイレっトイレっトイレっ!

宿は昔彼が泊まっていた「ナブラン」へ。
昔シングル100ルピーだったらしいのだけど、トイレ共同で400ルピーと言われる。
唖然…!
地球の歩き方にダブル250って書いてあるのに!あてにならない歩き方情報とはいえ、値上がりすぎだ。

どうしようか、と困っていると、早朝ということもあり宿のおっちゃんもご機嫌ナナメ。
値下げ交渉に応じてくれる様子もない。
仕方がないのでひとまずここで一泊することに。
とはいえトイレもきたないし水も臭いししんどいなぁ…。
ある程度鍛えてきたから、安ければきたなくても安いから仕方ない!って我慢できるけど、今までリシケシやダラムサラで300ルピーで素敵すぎる宿に泊まっていたからギャップが激しすぎて落ち込む。
暗い、汚い、臭い…。
デリーは物価高いのかなぁ。

—From the present me


この時乗っていたバスの見た目は全く覚えていないのだけれど、輝いていたボルボの車体と、突然のエンジンの異音だけはとてもよく覚えている。
当時1ルピー1.5円くらいだったから、いまの感覚で換算すれば、たった600円の差。
それでも当時の私たちにとっては大きな違い。
お金と価値ってなんなんだろうと考えさせられる。

明日の日記はこちらに続く

コメント