このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.9.20『軒並み閉まるお店と物乞い』
今日は宿を移動。
起きてすぐに目の前に広がる山々は好きだったけれど、アシュラムのスタッフが感じ悪いのと、部屋の湿気がひどくて移動を決めた。
新しい宿は共同キッチンも使えて1泊200ルピー。インサイドトイレだし今までのインドの宿で1番きれい。
最初からこの宿にすればよかった。
しかも少し高いけれど、近くに日本語の話せる先生のヨガ教室を発見!200ルピー。明日から参加予定。楽しみだな。
出かける支度をすませ、夕食の食材を買うべく、さっそく街へと繰り出すが…。
お店というお店が閉まってる。
なんで?!
理由は分からないけれど、あの初日に行った美味しいラッシー屋さんも閉まっていて、15時にならないとあかないとのこと。
この前はお昼時にあいてたのに、今日はすっかりシャッター通り。
困った…。
木陰で休んでいると物乞いの小さな女の子が寄って来る。
ゆっくりしたいのに。
でもこの子、なんだかすごく愛嬌がある。
最初は、「ハローハロー、フード、フード」と言っていたのに、もらえないことがわかると、自分の持ち物のお披露目会をし始めた。
大きなピンクの中バックの中には、嬉しそうに出したキラキラした布。
…
これ、お葬式のやつだね…。
結婚式でも使うみたいだけど、焦げてるところがあるからおそらく…。
お葬式グッズ2つを嬉しそうに見せてくる。少し胸が痛む。
他には椅子の脚につけるゴムのような物と、ガム、ヘナ、バナナ一本。
袋とは別に新聞紙に包まれたパコラ。
その無邪気さに、なにかあげたくなるのをぐっとこらえる。
それでもニコニコしてヘナでお絵かきを始めたり、水で洗いはじめたり。
何かあげたくて、でもお金や食べ物をあげるのは違うと思って、持っていた新聞紙でハートを折ってあげたけど、食べ物じゃなかったからいらなかったみたい。
でもこんなに可愛くても、お葬式グッズ触った手で触らないでほしいなぁ…って思ってしまう。
ごめんなさい。でもそれが今の醜くて優しくない私の正直な気持ち。
仲間が呼びにきてさよなら。いらなかったみたいだけど、一応ハートも持って行ってくれた。
物乞いも色々あって、ほんとにお茶目で微笑ましい人から、無愛想に手を出してきて、そんなんでお金がもらえると思ってるのかな?という人までたくさんいる。
私はお金が欲しいなら何かしようよ、ってどうしても思うから、(バスキングとか) ただ手を出されても絶対あげたくないけれど、なかなか難しい問題だなと考えさせられます。
汚いとか触れたくないとか思ってしまう気持ちって自分の中に根源的な闇みたいなものとしてあって、それによってなんて自分は醜くて心が狭くて自分のことしか考えてない人間なんだろうと生きてきてそのまますっかり大人になってしまった。
なんなんだろうなこの感覚。
中から出たもの、例えば汗とかについて自分のものも人ものもの汚いって感覚はあまりないのに。
一度外界に触れたものについて自分の手も人の手もなんとなく汚いという感覚を持ってしまっている。その手で触れたものが自分の中に入ることに対してとても抵抗がある。
何を畏れてるんだろうな。
起きてすぐに目の前に広がる山々は好きだったけれど、アシュラムのスタッフが感じ悪いのと、部屋の湿気がひどくて移動を決めた。
新しい宿は共同キッチンも使えて1泊200ルピー。インサイドトイレだし今までのインドの宿で1番きれい。
最初からこの宿にすればよかった。
しかも少し高いけれど、近くに日本語の話せる先生のヨガ教室を発見!200ルピー。明日から参加予定。楽しみだな。
出かける支度をすませ、夕食の食材を買うべく、さっそく街へと繰り出すが…。
お店というお店が閉まってる。
なんで?!
理由は分からないけれど、あの初日に行った美味しいラッシー屋さんも閉まっていて、15時にならないとあかないとのこと。
この前はお昼時にあいてたのに、今日はすっかりシャッター通り。
困った…。
木陰で休んでいると物乞いの小さな女の子が寄って来る。
ゆっくりしたいのに。
でもこの子、なんだかすごく愛嬌がある。
最初は、「ハローハロー、フード、フード」と言っていたのに、もらえないことがわかると、自分の持ち物のお披露目会をし始めた。
大きなピンクの中バックの中には、嬉しそうに出したキラキラした布。
…
これ、お葬式のやつだね…。
結婚式でも使うみたいだけど、焦げてるところがあるからおそらく…。
お葬式グッズ2つを嬉しそうに見せてくる。少し胸が痛む。
他には椅子の脚につけるゴムのような物と、ガム、ヘナ、バナナ一本。
袋とは別に新聞紙に包まれたパコラ。
その無邪気さに、なにかあげたくなるのをぐっとこらえる。
それでもニコニコしてヘナでお絵かきを始めたり、水で洗いはじめたり。
何かあげたくて、でもお金や食べ物をあげるのは違うと思って、持っていた新聞紙でハートを折ってあげたけど、食べ物じゃなかったからいらなかったみたい。
でもこんなに可愛くても、お葬式グッズ触った手で触らないでほしいなぁ…って思ってしまう。
ごめんなさい。でもそれが今の醜くて優しくない私の正直な気持ち。
仲間が呼びにきてさよなら。いらなかったみたいだけど、一応ハートも持って行ってくれた。
物乞いも色々あって、ほんとにお茶目で微笑ましい人から、無愛想に手を出してきて、そんなんでお金がもらえると思ってるのかな?という人までたくさんいる。
私はお金が欲しいなら何かしようよ、ってどうしても思うから、(バスキングとか) ただ手を出されても絶対あげたくないけれど、なかなか難しい問題だなと考えさせられます。
—From the present me
汚いとか触れたくないとか思ってしまう気持ちって自分の中に根源的な闇みたいなものとしてあって、それによってなんて自分は醜くて心が狭くて自分のことしか考えてない人間なんだろうと生きてきてそのまますっかり大人になってしまった。
なんなんだろうなこの感覚。
中から出たもの、例えば汗とかについて自分のものも人ものもの汚いって感覚はあまりないのに。
一度外界に触れたものについて自分の手も人の手もなんとなく汚いという感覚を持ってしまっている。その手で触れたものが自分の中に入ることに対してとても抵抗がある。
何を畏れてるんだろうな。
明日の日記はこちらに続く。


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