12-25.09.11『こんにちはバラナシ』

旅のエッセイ
  このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
  当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
  あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.09.11『こんにちはバラナシ』

まだお腹はシクシクと痛み、もちろんカレーは受け付けない。
毎朝、うっ…と、一番に感じるのが腹痛、というのが辛い。
最近はもうお腹壊すようなものは食べていないはずなのに、なんで治らないんだろう。

昨日売店で買ったクッキーの残りとお茶を飲んでいざ出発。
到着が夜だったからほとんど街の様子が見えなかったけれど、かなり道が入り組んでいる。

子どもがこんにちはと声をかけてくる。
ガートまで案内してくれるつもりらしい。
適当に話をしながら彼は対応していたけれど、カンボジアで出会った方が言っていた、 「お金を払うつもりがないのなら最初からガイドさせるべきでない」
っていう考えにとても感銘を受けていた私は、だらだらと案内をさせていることが嫌になって、
「二人きりでデートしたいから二人にしてもらえるかな?分かる?」
と言ってみた。
分かってくれたらしく、いくつかパパのお店の宣伝をして帰って行った。

こっちの子どもたちは小さいうちから商売熱心。
小学生にもなっていないのでは、って子が店番をしていたり、ちゃっかりお釣りを多く取ろうとしてきたりする。

とはいえ、聞いていたほど写真撮って撮ってと言ってくる子どももいないし、そこまでしつこく絡んでくる大人もいず、1番大変なのは狭い道に牛、犬、バイク、糞だらけで、歩くのが一苦労というくらい。
 
リキシャに連れていかれた宿がメインのガートから遠いこともあり、メインガートにたどり着くのには一苦労。
途中小さい方の火葬場を見ていると、写真とらないのか、とインド人がけしかけてくる。
撮っちゃいけないの知ってるもん。なんて奴だ!

死体を焼いている横で(この後流すのであろう)沐浴している人がいたり、骨や肉片をあさってる犬たちがいたり。
あらゆることが黙々淡々と行われている。

自分だったらせめて火葬場より上流で沐浴したい…なんて思ってしまうけれど、宗派によってガートが決まっているらしい。
そうでなくても全てを清めるガンガーだから、インド人にはそんなの関係ないのだろうけれど。

夜ご飯はナスと大根と生姜とラーメンを買い、ナスと大根と生姜の味噌汁と、ラーメンフォー(ベトナムでのインスタントフォーの粉の余りを使って)を作る。
今のこのお腹には自分たちで作るのが1番美味しいし優しい。
味噌、偉大。

疲れが溜まっていたので早めに就寝。
向かいで結婚式をやっているようで盛り上がっているのも気にならないくらい、 吸い込まれるように眠りにつく…。

  —From the present me


ガンジス川では洗濯も火葬も沐浴も一緒くたに行っていて、話では聞いていたけれども実際に見るとそれはそれは衝撃だった。
綺麗にするってなんだろうと
今、日本でウェットティッシュを使いまくっている自分は、この時より一層そのことを考えさせられる。
お葬式も神妙さ、みたいなものはなくて、お祭りみたいに送り出していた。
そのほうが日本のお葬式より好きだなと思った。

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