このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.08.20『うれしかったこと悲しかったこと』
ラオスの古本屋で20000キープ(200円)で買った「ラオスの地球の歩き方」が、なんとバンコクの日本人経営の代理店で200B(500円)で売れたー\(^o^)/300円の儲け!
こっちで300円っていったら約120B、今泊まってる宿が一泊130B、約一日分の宿泊費ういたよ!すごーい!!やったー!!!
そして悲しかったこと。
寝台バスでチェンマイへ行くためにとったVIPバスが、普通の椅子。
寝れない!!!
椅子に座った状態で寝るなんて、過酷です。
—From the present me
この後もよく「VIP」と書かれたバスは何度も見かけることになるのだけれど、VIPバスの何がVIPだったのかいまだによくわからない。
ただ、アジアで寝台バスといったら大抵座席自体が簡易的な二段ベットのようになっていて寝っ転がれる作りになっているものだった。
日本だと逆に夜行バスでも普通の椅子は当たり前で、ベッドのバスを見たことがないので、この寝台バスが普通の椅子で辛い、という悲しみは今だと共感しにくい。
むしろ今の私は普通の椅子でもしっかり寝れる耐性がついてしまっている。そいうか椅子であることより、写真を見て、なぜバス内が真っ赤な照明なのか、ということの方が気になったが、そのことには全く触れられていなかった。現地のバスとしてはありがちな照明だったのだろうか。
椅子で寝るのも当たり前になってきてしまっていたけれどこの辺りから鍛えられての今、だったのかな。
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