12-25.07.13『ホイアン到着』

旅のエッセイ
  このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
  当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
  あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.07.13『ホイアン到着』

2回目の寝台バス。
やはりまた自身の夢を見てうなされつつ、予定より2時間遅れでなんとかホイアンに到着。

バスは思っていた場所ではなく、少し離れた所に停車。
行きたかった宿への道がわからず、朝の街でバックパックを背負いながら迷子になる。

こういう時にバイクタクシーに囲まれてしまうのは疲れもあって本当にしんどい。
これはもう、楽しむ余裕なんてもっていられない。

なんとか振り切って、徒歩で目的の宿にたどり着く。
宿の女の子は本当に親切で、そのうえ私がLサイズだと納得できるくらい小さくて可愛らしい人だった。

ベランダからは山も見えて、景色が最高。
 

果物売りの笑顔の素敵なおばちゃん

 

提灯はベトナムの伝統工芸の一つ。とっても幻想的

ただ、ホイアンの街そのものは、正直に言って3時間あれば十分満喫できてしまった。

もちろん、今までのベトナムの街並みとはまた違っていて、最初はわくわくしていた。
でも、お土産屋さんばかりで、どのあたりが世界遺産なのだろう?と感じてしまう。
地球の歩き方を見て、「ホイアンは良さそうだから長居しよう」なんて思っていた分、ちょっと残念だった。

明日にはフエへ向かう予定。

そして、ベトナムに来てから毎日喧嘩している。
昨日決意したばかりの「尊重・尊敬・感謝」を意識して、今日はうまく過ごせていたはずだった。

けれどまた彼の口から出たスラングに、どうしても気持ちがついていけなかった。
オーストラリアではよく使う言葉らしいけれど、そんなこと知らんしだからいいとかじゃないよ!

このあとも、なぜ私が怒っているのかを長々と書いていたけれど、割愛した。 今読むと、結局13年前から、こういった根本的な価値観の違いが埋まらなかったのだと思う。
もちろん、感謝していることもたくさんあるのだけど。
他人に対してどんな言葉を使うか、どう向き合うかって大事な価値観だよな。

そして、「観光地化していてつまらない」と当時感じたことにも、考えさせられることがあった。

どんなに美しい街並みでも、観光客向けに整備されれば「本物らしさ」「そのものの良さ」が薄れてしまうことがある。
でも、それを一概に批判することもできない。
日本だって、観光地では英語や中国語の表記が増えていて、それは“最適化”の一つの形でもある。
古き良きものをそのまま残すには、不便とどう共存するか、という問題もあるのだと思う。

そういえば、この旅を終えて8ヶ月ぶりに日本に帰ったとき、中国語のアナウンスが増えていて驚いた記憶がある。
変化はあっという間に起こる。

インドでは、世界遺産の入場料が自国民と観光客で分かれていた。
「自国の遺産だから自国民は安くて当然」という考え方は、とても素敵だと思った。

いま日本では、「日本人ファースト」という言葉が賛否を集めているけれど、
“ファースト”がどんな価値観や世界観にたったものなのか、親切や最適化、効率化のような部分と根源のようなものを切り離して丁寧に向き合っていかないといけない。

明日の日記はこちらに続く

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