12-25.06.30『圧倒的なアンコール遺跡群とスーパーのおつり』

旅のエッセイ
  このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
  当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
  あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.06.30『圧倒的なアンコール遺跡群とスーパーのおつり』

今日は世界遺産のアンコール遺跡群へ。
アンコールワットだけかと思っていたら、アンコール遺跡群全体が世界遺産らしく、遺跡がたくさん!

やっぱりすごい!アユタヤの比じゃない!

ちょうど同じ時期に皇太子殿下がカンボジアを訪れていたようで、
「よくこんなに石を積み上げましたね。」
とおっしゃっていたらしい。うん、たしかに。

そして、石へ削られた模様たちがすごい!!
   
ただ、遺跡がありすぎて途中でお腹いっぱいになってしまった。
3日券、40ドルもしたのに…超もったいない。1日券で充分だったかも…。

アンコールワットはもちろんすごかったけれど、私はアンコールトムの方が好き。
   
遺跡巡りのあとはスーパーへ。そこでおつりをごまかしかけられた。

0.4ドルの買い物をして1ドルを出すと、本来なら2000リエル以上返ってくるはずなのに、返ってきたのは200リエルちょっと。
ここまでならまだ間違いかもしれないが、彼がおつりの違いを指摘すると、ニヤニヤしながら1000リエルだけ返してくる。
さらに違うとレシートを見せると、ようやく正規の金額を返す。笑いながら、適当に。

彼はキレた。
その時、私はつい事なかれ主義でとめてしまったし、怒りすぎでは…と思ってしまったけれど、よくよく考えるとかなり腹が立つ。

カンボジア料理はあまり美味しくないし、屋台もレストランもツーリスト価格は現地人の2倍以上。
節約して、お昼はお菓子だけ、とか、なるべく安いものを探して、かなり食費を切り詰めていた。
それなのに「日本人はお金を持ってるから騙してもいい」と思われている感じ、すごく嫌だ。

小さな村の子どもたちへの寄付や支援の大切さは理解しているけれど、
都会に住むカンボジア人は携帯もテレビも持っていて、服だって私たちと変わらない。

日本では、私も働いていた時、必要以上の私語もせず、ごはんもゆっくり食べられず、休憩も取れずに残業代も出ずに働いていた。
そのお金でここに来ている。節約して、満足なごはんも食べていない。

旅行に来られるだけで裕福と言われたらそれまでだけれど、
ツアー旅行者とバックパッカーでは状況も、現地での暮らし方も全く違う。

そんなこと現地の人には関係ないのだろうし、嫌なら出ていけばいいという話だけれど…。
日本人、私も含めて、ほいほい騙されて怒りもせず、下手すりゃ気づきもしないのは、正直バカみたいだと思った。

日本はカンボジアに援助も寄付もしているし、旅行に来たら現地価格の8倍で買い物までしていく。
甘すぎるのでは?と思った。

裕福なカンボジア人は、カンボジアの貧しい村に学校を建てているのだろうか。
知らないから何も言えないけれど、考えさせられることがたくさんある。

とっても腹が立ったけれど、考えさせられる、いい経験だった。

遺跡に入るときには、露出の高い服はNGなどの決まりがあった。
そういった国や宗教のルールを尊重する姿勢はとても大切だと思う。

この時は本当にろくな食べ物を食べられていなくて、かなりピリピリしていた。
今こうして日記を毎日書いている私から見れば、「昨日ケーキ食べてなかったっけ?」とも思うのだけど、
この時のひもじさとやるせない気持ちは、今もよく覚えている。

今の私は一日2食で、当時よりも食べている回数も量も少ない。
でも「十分に食べられていない」という気持ちは、量の問題じゃなくて、“損なわれている”という感覚の問題なんだろうな。

何をもって満足できるかは、自分の向き合い方次第だと改めて思う。

知らないから何も言えないと言いつつ、結局しっかり主張しているところが、当時の自分らしくて恥ずかしい。
しかもあの頃、寄付をしていたわけでもないのに…と思うと、とても消してしまいたくもなったのだけど、
それでも「その時、そう感じた」ということを恥を忍んで残しておこうと思う。

明日の日記はこちらに続く

コメント