13-26.02.03『鼻息荒めな自然への畏敬と、日本文化への渇望』

旅のエッセイ
このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

13-26.02.03『鼻息荒めな自然への畏敬と、日本文化への渇望』

今日は日本は節分だね。
もちろん、インドでは節分の要素は皆無だけれど。

こっちにきて思うのは、日本の伝統や季節の行事をもっと大切にしたいなってこと。

季節の食べ物を楽しんだり、季節の行事を楽しんだり。昔はもっと、自然の移り変わりに共存していたんじゃないかな。

今の日本は毎日が忙しく過ぎて行くし、季節も少し狂ってきているし、食べ物も一年中どの野菜も手に入る。

でも、なんでも人工的にできるわけではないし、なんでも人間が支配できるわけではない。

自然あっての人間。
地球あっての人間。
多くの動物の中の人間。

あんまりおごりが過ぎると人間なんてあっという間に死んじゃうんじゃないかな。

地球あっての人間。
経済や利権だけ追求しても、お金や役職は死んだら無意味。

自然と共存してゆっくり季節の移り変わりを楽しむ。
季節の実り物をありがたく戴く。

そういう謙虚さを忘れて向かって行く世界が怖い。

—From the present me


この時期ずっとこんなことばかり憂いでいて、実際帰国後は日本の文化を学ばなくては!! とオープンカレッジや短期講座をあさりまくり、茶道、琴、三味線、華道、日本舞踊、古事記などをかじった。

かじっただけでは当時憂いでいたようなことは全く改善されないのに、少し触れて知った気になって満足していた。
とても浅はか。
でも意味がなかった、とは今は思わない。

茶道は正しいやり方ではないかもしれないが、ちょっとした時にお茶菓子と一緒に淹れて楽しんだりもしたし、日本舞踊もその後別のダンスの機会で多少役に立った。

思い立ったらすぐ行動してすぐに飽きてしまうのが欠点でもありつつ、何もしないよりはしていた方が良い。
またちょっとした時にお茶を点てられるようにお抹茶常備しようかな。
今日も節分の豆を買って帰ろう。

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