12-25.07.10『寝台バスと海のばあちゃん』

旅のエッセイ
  このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
  当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
  あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.07.10『寝台バスと海のばあちゃん』

初めての寝台バスでホーチミンからニャチャンへ。
寝台バス、つらい。
傾き具合が合わないし、冷房は頭に直撃。
 
途中の休憩も何分なのか分からなくて、降りようとしたら止められてしまう。
しかも言葉が分からない。英語ですらない。

神経質な私には、なかなかきつい環境だった。
彼はというと、乗り込んですぐに爆睡。
慣れってすごいな。

とはいえ、眠気には勝てず、四苦八苦しながらも3時間後には眠っていた。
揺れがひどくて、地震の夢を見た。
…次の移動も寝台の予定。私、強くなるぞー!

ニャチャンは、ビーチリゾートとして有名な街。
ダム市場で水着を買い、いざ海へ。

でも私は泳げないし、海が久しぶりすぎて浮く感覚が分からない。
足がつかないのが怖くて、浅瀬で波にさらわれながら、ただぼーっとしていた。

すると、白い綿の上下を着たベトナム人のばあちゃんが近づいてきて、ベトナム語で話しかけてくれた。
言葉は分からないけれど、身振りと雰囲気でなんとなく伝わってくる。

「日に焼けちゃうし、肌がかぶれるから、水着はだめだよ!」
そんな意味合いだと理解した。

ばあちゃんはそのまま、白い服ごと海へ。
すっかり服が水に濡れて透けてしまっていても全く気にしていないばあちゃん。
浅瀬は足が取られやすく、波もおだやかではないので、波に負けたりしながらも水に浸かったり浅瀬でぼーっとしたりするばあちゃん。

私もばあちゃんの真似をして、同じ場所で同じことをしていたら気づけば仲良くなって、
手をつないで一緒に波に耐えたり、波に負けて水をかぶったりしながら笑い合った。

彼はというと、ばあちゃんが「遠くに行かない方がいい」と言ってたのに
ぐんぐん沖へ行き、クラゲに刺されていた(笑)

ばあちゃんと別れてホテルに戻ると、日焼けが痛くて痛くて。
ばあちゃんの言うこと、聞くべきだった。
明日は洋服で行こう…!

日本でも旅先でも、私たちはよく
素敵なじいちゃん、ばあちゃんに助けられている。
それは海外でも変わらないんだな。
今日もチャーミングなばあちゃんとの出会いに感謝。
当時の私は自分を「神経質な人間」だと思っていたことに驚いた。
今の私は、夜行バスでも寝られるし、電車で立ったままでも寝られる。
この旅を通して、たくさん鍛えられたのかもしれない。

「自分をどう定義するか」は、その後の行動にも大きく影響する。
今の私は身体能力が叶う範囲であれば「郷に入っては郷に従えるはず」という自信がある。

けれど仕事になると、また別の「自分像」に縛られている気がする。
プライベートとはまた違う感覚の自分がそこにいて、
仕事では「こうであらねば」とどこかで構えている。

その違いに気づきながらも、まだ抜けきれずにいる。
それを拒んでいる怖さやおそれはどこからきてるんだろう。

海のばあちゃんと手を繋ぎながら波と戯れている時間は本当に穏やかであったかい時間だったな。

明日の日記はこちらに続く

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