このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25. 07.06『トゥールスレーン博物館』
ポル・ポト政権時代に監獄として使われ、今は博物館として公開されているトゥールスレーンへ。
恥ずかしながら、「ポル・ポトって何だっけ?」くらいの無知なまま訪れてしまったことを、心から悔やんだ。
しかもこういう時に限って万能電子辞書を宿に置いてきてしまい、歴史を調べられないし、英語の案内も読めない。
自分の未熟さに落ち込むばかりだった。
調べてから来ていたら、違う視点にも気づけたのかもしれない。
けれど、無知であってもここが“異常”だということはわかった。
ここはもともと学校だった。
かなりしっかりした造りの建物。
こんなことのために建てられたものじゃなかったはずなのに。
つきなみだけれど、戦争はだめだと思った。
日本にいると「平和ボケ」と言われるような暮らしの中にいるけれど、少し間違えれば、戦争なんてすぐに起きてしまう。
だからこそ、曖昧な態度のままでいたらだめだと思う。
気づいたときには、もう遅いかもしれない。
ジェノサイドなんて日常では考えられないけれど、理由や状況次第で、そこへ向かってしまう可能性がある。
ペットの犬は殺さないのに、鶏は食べるから当たり前に殺してしまう。
その境界線が、ぐらぐらと揺らいでしまうような異常さ。
私は、鶏が大量にしめられているのを直視できなかった。
それならば、鶏を食べる資格はないな、とも思った。
キリングフィールドにも行くつもりだったけれど、気を受けやすい私たちにはここで限界だった。
本当は行くべきだけど今回はここだけにした。
プノンペンの町はトゥクトゥクが多すぎて、5メートル歩けば「乗らないか?」と声をかけられる。
「ノーノーノー」とぶっきらぼうに言う事もできるけれど、面倒な上にイライラしてしまう。
そこで発想を変えて、話しかけられたら話す!ちゃんと顔を見て会話してみることにした。
そうしたら、めちゃくちゃ面白い!
「Wal〜k. I can wal〜k♪」
と笑顔で返すと、「そうかい」と納得してくれたり、「エクササイズか!」と笑われたり。
こっちの人は本当に短い距離でも歩かないみたいで、バイクがやたら多い。
私たちは節約のためにも30分なら普通に歩くのだけど、それを話すと「So far!」と本気で言われる。
「Why?!」なんて言われたりするのも面白い。
「明日も歩くのか?」と聞かれ、「明日はサイゴン」と言うと、「じゃあトゥクトゥクで行くか?」なんて冗談まで。
最初は怖かったプノンペンだったけど、本当に優しい人が多い。
屋台で買ったご飯をガードレールに座って食べていたら椅子を持ってきてくれたり、
二人で一つのご飯をスプーン一つで食べていたらもう一本貸してくれたり、
いきなり学生に「アンニョンハセヨ」と言われたり(違うけど)、
カフェではおいしいコーヒーに、ジャスミン茶をサービスでたくさん出してくれたり。
「オクン(ありがとう)」と現地の言葉を使うと、すごく素敵な笑顔を返してくれる。
やっぱり、笑顔でいること、言葉を覚えること、それだけでも世界が変わっていくんだな、と思った。
カンボジア、ありがとう。
明日からは、ベトナムだ!
あの頃よりさらに、戦争がもっと身近なものになってしまっている。
「なるわけないよね」と思っていても、どうしてこんなことに?という流れで始まってしまった歴史は、たくさんあった事も学んだ。
今の私はあの頃よりも少し歴史を学んだりもしたけれど、結局何をするでもなく、日々を平和ぼけのまま過ごしていることは変わっていない。
日常をいかに楽しく生きるか、は本当に自分の捉え方と対応の仕方次第で世界が変わると思うのだけど、実際に異常な世界になってしまったらどう生きればいいか、まだ想像ができていない。
恥ずかしながら、「ポル・ポトって何だっけ?」くらいの無知なまま訪れてしまったことを、心から悔やんだ。
しかもこういう時に限って万能電子辞書を宿に置いてきてしまい、歴史を調べられないし、英語の案内も読めない。
自分の未熟さに落ち込むばかりだった。
調べてから来ていたら、違う視点にも気づけたのかもしれない。
けれど、無知であってもここが“異常”だということはわかった。
ここはもともと学校だった。
かなりしっかりした造りの建物。
こんなことのために建てられたものじゃなかったはずなのに。
つきなみだけれど、戦争はだめだと思った。
日本にいると「平和ボケ」と言われるような暮らしの中にいるけれど、少し間違えれば、戦争なんてすぐに起きてしまう。
だからこそ、曖昧な態度のままでいたらだめだと思う。
気づいたときには、もう遅いかもしれない。
ジェノサイドなんて日常では考えられないけれど、理由や状況次第で、そこへ向かってしまう可能性がある。
ペットの犬は殺さないのに、鶏は食べるから当たり前に殺してしまう。
その境界線が、ぐらぐらと揺らいでしまうような異常さ。
私は、鶏が大量にしめられているのを直視できなかった。
それならば、鶏を食べる資格はないな、とも思った。
キリングフィールドにも行くつもりだったけれど、気を受けやすい私たちにはここで限界だった。
本当は行くべきだけど今回はここだけにした。
プノンペンの町はトゥクトゥクが多すぎて、5メートル歩けば「乗らないか?」と声をかけられる。
「ノーノーノー」とぶっきらぼうに言う事もできるけれど、面倒な上にイライラしてしまう。
そこで発想を変えて、話しかけられたら話す!ちゃんと顔を見て会話してみることにした。
そうしたら、めちゃくちゃ面白い!
「Wal〜k. I can wal〜k♪」
と笑顔で返すと、「そうかい」と納得してくれたり、「エクササイズか!」と笑われたり。
こっちの人は本当に短い距離でも歩かないみたいで、バイクがやたら多い。
私たちは節約のためにも30分なら普通に歩くのだけど、それを話すと「So far!」と本気で言われる。
「Why?!」なんて言われたりするのも面白い。
「明日も歩くのか?」と聞かれ、「明日はサイゴン」と言うと、「じゃあトゥクトゥクで行くか?」なんて冗談まで。
最初は怖かったプノンペンだったけど、本当に優しい人が多い。
屋台で買ったご飯をガードレールに座って食べていたら椅子を持ってきてくれたり、
二人で一つのご飯をスプーン一つで食べていたらもう一本貸してくれたり、
いきなり学生に「アンニョンハセヨ」と言われたり(違うけど)、
カフェではおいしいコーヒーに、ジャスミン茶をサービスでたくさん出してくれたり。
「オクン(ありがとう)」と現地の言葉を使うと、すごく素敵な笑顔を返してくれる。
やっぱり、笑顔でいること、言葉を覚えること、それだけでも世界が変わっていくんだな、と思った。
カンボジア、ありがとう。
明日からは、ベトナムだ!
あの頃よりさらに、戦争がもっと身近なものになってしまっている。
「なるわけないよね」と思っていても、どうしてこんなことに?という流れで始まってしまった歴史は、たくさんあった事も学んだ。
今の私はあの頃よりも少し歴史を学んだりもしたけれど、結局何をするでもなく、日々を平和ぼけのまま過ごしていることは変わっていない。
日常をいかに楽しく生きるか、は本当に自分の捉え方と対応の仕方次第で世界が変わると思うのだけど、実際に異常な世界になってしまったらどう生きればいいか、まだ想像ができていない。
明日の日記はこちらに続く。
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