このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.06.28 タイ→カンボジア 初めての国境越え
カンボジア行きのバスがなかなか来ない。
集合時間は朝6時半。でも係の人もいなければ、乗客もほとんど集まっていない。
11人いるはずが、私たちの他には1人だけ。そしてその人も「コンビニ行きたいので荷物お願いします」と去っていった。
準備してから集合するものじゃないの?と、日本的な感覚で思ってしまう。
結局、係の人が来たのは6時42分。
最初から遅れて来るのを見越して早めに集合させていたのかも。
なんだか腑に落ちないまま、7時になっても出発せず。
しかも、同じバスの日本人の子のバックから大量の南京虫が…!
先が思いやられるカンボジアへの道。
集合時間から1時間後、ようやく全員が揃ってバスが出発。
代理店では「ビザは国境で取得できる、20ドル+チップでOK」と聞いていた。
ところが、途中のレストランのような場所で突然降ろされ、入出国カードと申請用紙を渡される。
それを記入したところで告げられたのは——
「1人1500バーツ」
え?
てっきり国境に着いたと思っていたら、まだ手前。ビザ取得を代行するという名目で集金される。
もうバーツはほとんど残っていない。
でもこの場でみんなと離れて国境へ行くなんて、不安で仕方ない。
彼は「騙されるな、絶対に自分たちでとれる」と頑なだったけれど、私は安心料として1500バーツ払ってしまいたかった。
一緒のバスに乗っていた日本人は、もうすでにビザを持っている方と、1500バーツを払うことを決めた方しかいない。
怪しげなバスのスタッフたちも、
「今ビザを取らないと国境を越えた後にバスはない」
「お金がないならATMに行け」
とあれこれ脅してくる。 頑なに譲らない彼。
「自分たちで国境でとる!」
と押し切ると、ついに私たちは別の車に乗せられ、みんなと離れ離れになった。2人きり、国境へ。
車が停まり、降りて早々、またもや「1500バーツ」と言われる。
まだ言うかとうんざりしながらも無視して進むと、ようやく本物のイミグレーションにたどり着いた。
ビザ取得自体はとてもスムーズ。20ドル+チップで完了。
彼が「クイック!クイック!」と係員にふざけて言うと、係の人もふざけて慌てたフリをして対応してくれた。
失礼だからやめて!!怒られるよ!!と思ったのに……日本ってまじめなんだなぁ、本当に。
私が私たチップも5ドルも、彼に「多すぎる!」と怒られた。
1人3ドルと言っていたから、私はそれでも少し値引きしてもらえた気でいたのに。
日本のお金感覚や常識は、ここでは通用しない。
それを頭で分かっていても、日々「騙されないように」と身構えて生きるのは、疲れる。まだ慣れてないのに、そんなに怒らなくてもとしゅんとなる。
無事国境を越えると、さっきのスタッフが待っていてシャトルバスに乗せられバス停へ。
ここで待っていればバスが来るのかと思ったが、30分待ってもシェムリアップ行きのバスが来ない。
みんなの姿も見えない。
まさか、置いていかれた?
不安の中、それでも情報を確認しておこうと料金表を見に行ったり、次の手段を考えたりしていると…
見覚えのある日本人の姿が!
置いていかれてなかった、よかった!
13時には国境を越えていたけど、バスが出たのは15時。
さほど何もないターミナルで、時間を持て余す。
やっと走り出したバスの中。
うとうとしながら窓の外を眺め、昔のことを思い出す。
私はあまり、昔の記憶がない。
断片的に、写真のように出てくる思い出を、なんでそうだったんだっけ…と紡いでいく。
規則正しく並んだ樹々を眺めながら、なんだか泣きそうになる。
「東京で働く必要って、本当にあるのかな?」
「日の出とともに起きて、日の入りとともに眠る。自分で育てた野菜を食べて、ゆったりと暮らす、そんな生活もいいかもしれない」
そう思った。
窓の外には、カンボジアの子どもたちの姿。
バスを見て手を振ってくれたり、休憩の露店で照れくさそうにこちらを見ていたり。
声をかけると、うれしそうに笑ってくれる。
休憩の場所によっては、子どもたちが何人も待ち構えていて、バスを降りるとわぁっと集まってくることも。
中には日本語を話せる子もいて、ノートを見せてくれたり、リリアンのブレスレットを腕に巻いてくれたり。
「円持ってないの?」
「ポストカード買って。もっといい学校に行きたいの」
——言い方が、慣れてる!
もらったブレスレット。悪いなと思いながらも、買わずに「ごめんね」と謝るしかなかった。
これが、こういうことか……。
知らなかったとはいえ、ブレスレットをもらっておいて何も返さないのは申し訳なかったなと今では思う。
「これは悪だ」と決めつけていた自分がいた。
はじめての陸路での国境越えは本当に怖かった。
周りと離れるのが不安で、輪を乱すことが嫌で仕方なかった。
旅に出て2週間。
「なんて人と一緒に来てしまったんだ」と思った。
でもこの時の選択は、彼の判断が正しかった。
「野菜を育てて暮らす」という思いも、後に実現することになる。
集合時間は朝6時半。でも係の人もいなければ、乗客もほとんど集まっていない。
11人いるはずが、私たちの他には1人だけ。そしてその人も「コンビニ行きたいので荷物お願いします」と去っていった。
準備してから集合するものじゃないの?と、日本的な感覚で思ってしまう。
結局、係の人が来たのは6時42分。
最初から遅れて来るのを見越して早めに集合させていたのかも。
なんだか腑に落ちないまま、7時になっても出発せず。
しかも、同じバスの日本人の子のバックから大量の南京虫が…!
先が思いやられるカンボジアへの道。
集合時間から1時間後、ようやく全員が揃ってバスが出発。
代理店では「ビザは国境で取得できる、20ドル+チップでOK」と聞いていた。
ところが、途中のレストランのような場所で突然降ろされ、入出国カードと申請用紙を渡される。
それを記入したところで告げられたのは——
「1人1500バーツ」
え?
てっきり国境に着いたと思っていたら、まだ手前。ビザ取得を代行するという名目で集金される。
もうバーツはほとんど残っていない。
でもこの場でみんなと離れて国境へ行くなんて、不安で仕方ない。
彼は「騙されるな、絶対に自分たちでとれる」と頑なだったけれど、私は安心料として1500バーツ払ってしまいたかった。
一緒のバスに乗っていた日本人は、もうすでにビザを持っている方と、1500バーツを払うことを決めた方しかいない。
怪しげなバスのスタッフたちも、
「今ビザを取らないと国境を越えた後にバスはない」
「お金がないならATMに行け」
とあれこれ脅してくる。 頑なに譲らない彼。
「自分たちで国境でとる!」
と押し切ると、ついに私たちは別の車に乗せられ、みんなと離れ離れになった。2人きり、国境へ。
車が停まり、降りて早々、またもや「1500バーツ」と言われる。
まだ言うかとうんざりしながらも無視して進むと、ようやく本物のイミグレーションにたどり着いた。
ビザ取得自体はとてもスムーズ。20ドル+チップで完了。
彼が「クイック!クイック!」と係員にふざけて言うと、係の人もふざけて慌てたフリをして対応してくれた。
失礼だからやめて!!怒られるよ!!と思ったのに……日本ってまじめなんだなぁ、本当に。
私が私たチップも5ドルも、彼に「多すぎる!」と怒られた。
1人3ドルと言っていたから、私はそれでも少し値引きしてもらえた気でいたのに。
日本のお金感覚や常識は、ここでは通用しない。
それを頭で分かっていても、日々「騙されないように」と身構えて生きるのは、疲れる。まだ慣れてないのに、そんなに怒らなくてもとしゅんとなる。
無事国境を越えると、さっきのスタッフが待っていてシャトルバスに乗せられバス停へ。
ここで待っていればバスが来るのかと思ったが、30分待ってもシェムリアップ行きのバスが来ない。
みんなの姿も見えない。
まさか、置いていかれた?
不安の中、それでも情報を確認しておこうと料金表を見に行ったり、次の手段を考えたりしていると…
見覚えのある日本人の姿が!
置いていかれてなかった、よかった!
13時には国境を越えていたけど、バスが出たのは15時。
さほど何もないターミナルで、時間を持て余す。
やっと走り出したバスの中。
うとうとしながら窓の外を眺め、昔のことを思い出す。

断片的に、写真のように出てくる思い出を、なんでそうだったんだっけ…と紡いでいく。
規則正しく並んだ樹々を眺めながら、なんだか泣きそうになる。
「東京で働く必要って、本当にあるのかな?」
「日の出とともに起きて、日の入りとともに眠る。自分で育てた野菜を食べて、ゆったりと暮らす、そんな生活もいいかもしれない」
そう思った。
窓の外には、カンボジアの子どもたちの姿。
バスを見て手を振ってくれたり、休憩の露店で照れくさそうにこちらを見ていたり。
声をかけると、うれしそうに笑ってくれる。
休憩の場所によっては、子どもたちが何人も待ち構えていて、バスを降りるとわぁっと集まってくることも。
中には日本語を話せる子もいて、ノートを見せてくれたり、リリアンのブレスレットを腕に巻いてくれたり。
「円持ってないの?」
「ポストカード買って。もっといい学校に行きたいの」
——言い方が、慣れてる!
もらったブレスレット。悪いなと思いながらも、買わずに「ごめんね」と謝るしかなかった。
これが、こういうことか……。
知らなかったとはいえ、ブレスレットをもらっておいて何も返さないのは申し訳なかったなと今では思う。
「これは悪だ」と決めつけていた自分がいた。
はじめての陸路での国境越えは本当に怖かった。
周りと離れるのが不安で、輪を乱すことが嫌で仕方なかった。
旅に出て2週間。
「なんて人と一緒に来てしまったんだ」と思った。
でもこの時の選択は、彼の判断が正しかった。
「野菜を育てて暮らす」という思いも、後に実現することになる。
明日の日記はこちらに続く。
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