13-26.01.12『排気ガスと乾燥、そして「生き神クマリ」を見て感じた違和感』

旅のエッセイ
このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

13-26.01.12『排気ガスと乾燥、そして「生き神クマリ」を見て感じた違和感』

ネパールの人たちは素敵だし、ごはんもおいしいし木彫りの彫刻もすごい。
今日行ったお寺も日本みたいでよかった。

それは分かる。

でも私、カトマンズだめ。

身体に悪すぎる。

寒すぎて身体はばっきばき。お湯もでないからシャワーも浴びれない。
ここまでなら少し辛いけど我慢はできる。

しかしその上乾燥がひどいから身体中かゆいし、排気ガスや土埃で空気が悪すぎて目も、鼻も、喉もいたい。顔もパリパリ。

こんな中、歩きたくない。
歩いてるだけで体調悪くなるよ。
住んでる人、ほんとに、すごいと思う。
私はこんなに身体を酷使してまでいたくない。

はやくポカラ行きたい。

彼はカジノに行きたいらしい。連れ出そうとしてくる。
でも私はもう外に出たくないよ!

そんな気分の中外に出た時にたまたま「クマリ」を観た。
カトマンズに生き神として崇められている少女。

昔からの伝統で代々選ばれていくクマリ。
王朝時代、国や国王に関する予言なんかもしていたらしい。
代々ネワール仏教徒の僧侶カーストサキャの家族から選ばれて、両親から引き離されて神としての振る舞いを教え込まれるんだって。
普段は人々の病気治療や願望成就の祈願。占いなどを行うらしい。

それはずっと信じてこられた伝統だから私がとやかく言えることではない。

たださ、女神の世話人にしかるべきお布施を渡すとクマリが2階の窓から顔を出してくれる。
って聞いて…なんじゃそらと思った。

今日たまたま団体客に混じって入ったら顔を出してたんだけど、動物園じゃないんだから…。ちょっと悲しくなった。



食べ物事情もインドとネパールでは全然違う。
彼の影響で日本でも基本的には自分から肉は食べなくなっていたけれど、出されたら食べるっていうスタンスだった。しかし本格的に肉を食べたくなくなってきた。

日本にいるときは、豚、牛は臭みが気になるし食べると身体が重たくなるから食べたくなかった。
鶏は好きだけど、極力控えようと思ってやめていた。

インドではそこらじゅうに牛がいて、
この子達を食べるなんて無理だわという気持ちも芽生えたし、
ネパールでは逆にそこらじゅうでヤギやら豚やら鶏やらがピギャーされた状態で店頭におかれていたり横たわっていたり、ピギャーの途中だったりして。

直視もできないし、ましてや自分でさばけないんだから、食べる資格ないって思った。

野菜だって命を頂いていることにかわりはないから、殺して食べるのが良くないと思うわけではない。
むやみに殺すのはもちろん良くないけれど、生きていくために頂かなくてはいけない。

ただ、自分で頂くことができないものを、人にさばいてもらって食べるのはどうなのか?

見たくないものは見ずに、もらうもんだけもらっていいのか?
って思ったら肉はもう食べないかな。

—From the present me


帰国後も極力のベジタリアンを続けていたのに、彼が筋トレを始めて肉を食べるようになってからすっかりお肉を食べる生活に戻ってしまった。
日本でベジ生活は外食するにもなかなか難しいけれど、お肉をほとんど食べていない時は体がとても軽かった。そのまま続けていたら何か変わっていただろうか。

「見たくないものは見ずに、もらうもんだけもらっていいのか?」は本当にそう。
食べ物も、食べ物に限らずとも。

明日の日記はこちらに続く

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