12-25.06.16『30元のエビアン』

旅のエッセイ
無事に空港まで行けるのか。そんな不安の中で一夜を過ごした。しかし、拍子抜けするほどちゃんとした送迎バスが、ホテルの前で静かに待っていてくれた。

余裕をもって空港に到着したけれど、私の喉はカラカラだった。
ホテルにはケトルもあったのに、水道水を警戒して飲まなかったからだ。

「もしものために」と残しておいたペットボトルのわずかな水も、何も聞かれることなく、飲む間もなく、セキュリティチェックで没収された。

まだ朝方ということもあって、空港内の多くの店はオープン前。
かろうじて開いていた店で500mlのエビアンを見つける。値札はない。
値段を聞くと30元とのこと。
迂闊にも水の相場も、1元いくらなのかも確認せず、私はレジへ向かった。

「空港だから高いのは仕方ない」と自分に言い聞かせながら購入。
それよりも、ただただ喉の渇きが限界だった。

しばらくして他の店が開きはじめた。
自販機では水が5元、少し立派な店でも20元。
さっきのお店の店員たちが笑っていた。
あれは、もしかしたら何も知らない私を見て笑っていたのかもしれない。

中国に来てから、「意味もわからず笑われている」と感じる瞬間が何度もあった。
そのたびに、心がじわじわと擦り減っていった。

そしてついに、空港という安全地帯でさえ、洗礼を受けた。
聞こえてくる言語は中国語ばかり。
ずっと我慢していた涙が溢れてきた。

これからは会話も通じず、状況も読めないような場所に向かっていく。
不安しかない現実に押しつぶされそうになったけれど、飛行機が離陸すると、不思議と心が落ち着いていった。

ホテルでもらったビニール袋いっぱいの朝食セット。
味は美味しくなかったけれど、そもそも、飛行機が遅れただけで
あんなに綺麗なホテルに泊めてもらえたこと、朝食まで用意してもらえたこと、
それは当然のことじゃなかった。

ああ、ちゃんと優しくしてもらっていたんだ。

「中国なんて嫌い」と思いかけていた私の隣に座ったのは、中国人のツアーコンダクターの女性。気さくで、穏やかで、とてもいい人だった。

この国がどう、というより、ただそこに、その時その時の出来事が起きているだけ。

昨晩から今朝までの洗礼をようやく消化しきったころ、飛行機はタイに到着した。
タイの空港は想像よりずっと綺麗だった。

空港内で、さっきのツアコンさんと再びすれ違ったとき、アイコンタクトをしてくれた。
そのさりげない優しさが、沁みる。

トイレの列では、中国人観光客が何人も割り込んでいく。
私の後ろに並んでいた外国人と目を合わせて、「ワオ、信じられない!」の感情を共有。
「がんばって順番キープしようね」ってささやかに励ましあって、そんな交流さえも、なんだか嬉しかった。

タイは英語も多くて、空港も日本とあまり変わらなくて、ほっとする。

今日から、どんな旅が始まるんだろう。


30元。
今の相場と比べても、かなり高い。
でも、最初にその洗礼を受けたことで、学んだ。
「ちゃんと調べなきゃいけない」
「何にいくら払うのが適正か、自分で判断していかなきゃいけない」
そう思える、いいスタートだったのかもしれない。

今思えば、少し飛行機の到着が遅れただけで、
至れり尽くせりのサービスを受けていた。

この日は、むしろ感謝の記録として残っていてもおかしくない日だった。

言葉がわからない。
自分の常識が通じない。
そんな「ちょっとしたすれ違い」で、印象は大きく変わってしまう。

通じない言葉、通じない価値観。
その間に立ちすくむ自分。

そんな経験を通して、私は少しずつ「郷に入っては郷に従う」ことを覚えていった。

——今の私はどうだろう。
また日本の常識に、すっかり染まりきってしまっているかもしれない。

明日の日記はこちらに続く

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