このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.09.14『ガンガーの向こう岸』
毎日雨です。
完全に引きこもりです。
二日間ご飯にしか外出していません。
まいった…。
インドは雨だと道がさらにさらに汚くなるので、歩く気がなくなる。
気にしている場合ではないのだけれど。
明日は雨でも頑張って外出しよう。
部屋にいる時間が長いのでベランダからぼーっとガンガーをみる。
川の向こう岸が気になる。
不浄の地と呼ばれる場所。
夜なんて真っ暗。
どんな生活をしているんだろう。
行こうと思えばいけるのだけど、まだそこまでは勇気が出ない。
「向こう岸」は、ヒンドゥー教の哲学において「この世」と「あの世」の境界を象徴する場合がある
そんな死後の世界と結びつけられることもある場所だったみたいだけど、調べてみたら2014年ころから新しい建物や観光スポットが作られるようになって、今では夜もライトアップされてすっかり様子が変わったみたい。
まだ開発される前のあの時の向こう岸が見れて良かったな。
そこには確実に放っている何かがあって、その何かにすごく惹かれてしまったんだ。
完全に引きこもりです。
二日間ご飯にしか外出していません。
まいった…。
インドは雨だと道がさらにさらに汚くなるので、歩く気がなくなる。
気にしている場合ではないのだけれど。
明日は雨でも頑張って外出しよう。
部屋にいる時間が長いのでベランダからぼーっとガンガーをみる。
川の向こう岸が気になる。
不浄の地と呼ばれる場所。
夜なんて真っ暗。
どんな生活をしているんだろう。
行こうと思えばいけるのだけど、まだそこまでは勇気が出ない。
—From the present me
「向こう岸」は、ヒンドゥー教の哲学において「この世」と「あの世」の境界を象徴する場合がある
そんな死後の世界と結びつけられることもある場所だったみたいだけど、調べてみたら2014年ころから新しい建物や観光スポットが作られるようになって、今では夜もライトアップされてすっかり様子が変わったみたい。
まだ開発される前のあの時の向こう岸が見れて良かったな。
そこには確実に放っている何かがあって、その何かにすごく惹かれてしまったんだ。


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