このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.09.07『コルカタ→ブッダガヤ。衝撃の寝台列車とつのる苛立ち』
体調を崩したこともあり気持ちもブルーに。
インドは嫌いじゃない。でも、「ここで頑張る意味あるのか」「さすがに病気になるんじゃないか」とぐるぐる思いが巡る中、当たり前だけどそんな不安はお構いなしにバンバン話しかけてくるインド人に、正直もう疲れ果てていて泣いた。
列車のチケットを取るにもまだチケットができてないとか、まだ席が決まってないとかで何度も何度も出向いては待たされ、出向いては待たされ。
待たされているのがしょうがないものなのか、チケットを手配してくれている元詐欺師さんたちが打ち合わせやらしているのかも分からず、なぜ?が駆け巡りイライラしてしまう。
列車の発車時間は23時20分とかなり遅く、それまでに何度もチケットの確認に行ったり、関西弁の話せるインド人さとしと話したりしてコルカタでの時を過ごす。
なんとかチケットを受け取り、駅へと向かう。インドの列車は遅れるのが常と聞いていたが、列車はほぼ予定通りに出発。
乗り込んでまず思ったのは、
えっこれに乗るの…?
席は三等(もちろん1番安い)の指定席。
自由席と比べたら倍以上の金額するんだからと、彼は指定席のほうにしてやったぞ、くらいの気持ちでいるようだけど、インドの列車が初めての私にとっては結構衝撃。
靴のまま上がってる人もいるし、どちら側が頭でどちらが足とも決まっていない。
さっきトイレに行った人の足がこっちにあったかもしれない…
とか考え出したらきりがない。
トイレといえば、駅のトイレに入ったらトイレに住んでる人がいて、2だと指を出されたから有料トイレなのかとおもって2ルピー払ったら彼に怒られた。
知らんがな。
知らんがなの事で怒られた事と、これに乗るんかいという衝撃を私は受けていた。
それなのに、インドはこんなもん、と自分だけ2回目の経験の彼はさくさく荷物を置いたり寝床を作ったりを進めていて、荷物をチェーンでとめろとか、そんなとめ方じゃだめだとか、心なしか冷たい気がして、なにさと思う。
こんなにインド人だらけのとこで寝るだけでも不安なのにさ。ちょっとくらい優しくしてくれたっていいじゃんか。
なんて拗ねながらも疲れと眠気が勝ちすぐに熟睡。
文句をたくさん思った割に、今まで乗って来た寝台バスよりだいぶ快適に眠れた。
朝は寝過ごしたら大変とアラームをかけていたが、そんなもの必要ないほどまだ6時前だというのにたくさんのチャイ売りや新聞売りが声をあげていた。
外は既に明るい。晴れていることに安心して、彼を起こす。
列車はほぼ予定通りに到着。
しかし駅で辺りを見渡してみるが、来るはずの迎えが来ない。元詐欺師さんがアーユルヴェーダのことを教えてくれるという人が迎えにきてくれると言っていたのに。
30分待っても来ないし、待っている間も物乞いがかなりしつこくて朝からぐったり。 彼は無視するしかない、というが、なんとなく無視は嫌だ。
でも一度話してしまうとなかなか離れてくれず、嫌だとも言ってられない現実にも気づく。
物乞いを職業としているのだから仕方がないのだろうが、私は老人だろうが障がい者だろうが、子持ちの未亡人だろうが、なにもせずに金くれ金くれという人たちにお金をあげるのは絶対に嫌。
バスキングをして稼いでいるのとはわけが違う。
やっぱり無視するしかないのか…と少し悲しくなりながらも、このまま待ってもお迎えが来るかわからないので、仕方なくトゥクトゥクでブッダガヤへと向かう。
ここからも道のりは長いんだわ。
トゥクトゥクに2人で100ルピーで交渉。
私が思っていたよりずっと遠かったので、これで100なら安いのでは、と思ったけれど、彼曰くそうでもないらしい。
疲れもあって、ぼーっと外を眺めていると、なんだかきらきらした場所に心を奪われる。
何があるって、樹や草や水やレンガがあるだけで、何があると言うわけではないのだけれど、そこに広がっている空間が、何故だかきらきらしているのだ。
きらきら、も少し違うかな。
なんか、すぐそこにある景色なのにすごく遠くにあるようにも見えるというか、ずっと続いているんじゃないかって心が開放される感じというか。
ここすこい…!
と感動していると、
「ここはピースフルプレイスだよ」とトゥクトゥクの運ちゃん。
なんでピースフルプレイスなのかは分からないけど、そんな理由は分からなくたって、ここがピースフルプレイスなのは空気で分かった。
この日心から落ち着けたのはこの瞬間のみ(笑)
そのあと運ちゃんに色々な宿に連れていかれ、確かに綺麗そうだけれど500ルピー以上の高い所ばかり。
一つ、本当は1100ルピーだけど、シーズンオフだからまけてやると500ルピーにしてくれた、かなりきれいなところがあった (私はトゥクトゥクで荷物番として待っていたので中は見てないけど) のだが、彼が300ルピーをゆずらず、汚くてもいい、最悪壁があればいいと言って それならばと見せられたのが廊下だったらしい。
戻ってきて彼が一言。
「ここ、廊下なら300ルピーだって。どう?」
…
どう?じゃねーよ(笑)
廊下に300ルピーも払うわけ?
と空腹と疲れも伴い静かにキレる私。
却下。
結局その後300ルピーで、さらになんとなんと、バスタオルと石鹸と蚊取り線香をくれた!インドでバスタオル借りれるとはっ!というゲストハウスになんとかたどり着く。
そして部屋を見て気づいたこと。
あれっ?シャワーなくない?
「あるよ。水道ついてるでしょ。インドではそれがシャワー。」
と彼。
またきたよ。この、当然ですが何か?的なやつね。
ふんだ。分かりましたよ。
とりあえずかなりお腹が空いていたので荷物をおいて宿を出る。
昔行っていたというチベタンのレストランを探す。
と、なんか宿のスタッフがついてきた。
ここが僕の家なんだ。
どうぞどうぞ…
とあれよあれよとお家にご招待される。
いやっ…ご飯食べたいんだけど…
家族の紹介や自分が日本人が建てた学校で先生をしていることからペットのウサギの紹介までありとあらゆる自己紹介をしてくれる。
なぜかNHKやトムジェリまで見せてくれて(お腹すいたんだけど…)
じゃあそろそろ…
と出ようとすると、チャイを作ってるから、と待たされる。
チャイとベビースターラーメンのようなものをご馳走になり、いよいよ出ようとすると、今度はもっと日本語が堪能な宿のオーナー(お兄さん)が帰ってくる。
アーユルヴェーダの例の人の所へ行きたいと名刺を見せると、バイクで連れて行ってくれるそうな。
この一つ一つの優しさが有難くもあり、同時にお金はどういうつもりで言ってくれているのかなぁと警戒せざるも得ない事もあり疲れもする。常に優しさをそのまま受け取れなくなっているのが悲しい。
アーユルヴェーダの人の所へ着くと、迎えに行ったのに、列車が遅れてると勘違いして未だに運転手が駅で待ってると言われる。
我々もだいぶと待ってたんだけどな。
期待したほどの情報も得られず、預かったバックを渡して(さほど興味もなさそうにポイっと投げていた)多分これでその人とはさようなら…。
ふぅ…疲れた。
マハーボディーを外から眺め、今日やっと最初のご飯にありつけたのはお昼になってから。
手書きで値段が直してあって、40ルピーに見えたのに60と言われる…。
はぁ…。もういいよ。
道を歩いていると物乞いも多いし日本語話せて勧誘してくる人も多いし犬も多いしヤギも多いし豚も多いし牛も多いし糞もそこらじゅうにあるし。
てか、牛の糞落ちすぎでしょ…
頑張ってよけてあるく。
例えばこれを踏んだとして、その靴で宿に帰ったとして、その靴で踏んだ場所にリュックを置いたとして、そのリュックを寝台列車でまくらにしたとしたら結果として顔に… とか、もう考えてもどうしようもない想像が広がる。
糞だらけだし動物も多いので虫も多い。
宿の裏には牛小屋があるからか、かなり多い。
今日一日で見た事のない虫をなん匹みたことか。
暑すぎてドアを開けていたら、気づいたときには時すでに遅し。
白い所に集まるさまざまな虫。
ベッド大惨事。ベッドバグはまぎれてないことを願う。
やっぱりインドは疲れるし桁が違う。
疲れた心をめんつゆで和えたオクラご飯を作って癒す。
明日は頑張れるかなぁ。
この時唯一心が癒されたピースフルプレイスは本当に幻想的で、今でも覚えている。
過去の日記を読んでいたらすっかり当時の彼にイライラしてしまったので、ピースフルプレイスを思い出して心を落ち着けている。
今はすっかりウェットティッシュで除菌しまくってしまう私。
この生活でも生きていけてたんだよな。ついつい拭けるならば拭きたくなってしまう。除菌しすぎも考えもの。
インドは嫌いじゃない。でも、「ここで頑張る意味あるのか」「さすがに病気になるんじゃないか」とぐるぐる思いが巡る中、当たり前だけどそんな不安はお構いなしにバンバン話しかけてくるインド人に、正直もう疲れ果てていて泣いた。
列車のチケットを取るにもまだチケットができてないとか、まだ席が決まってないとかで何度も何度も出向いては待たされ、出向いては待たされ。
待たされているのがしょうがないものなのか、チケットを手配してくれている元詐欺師さんたちが打ち合わせやらしているのかも分からず、なぜ?が駆け巡りイライラしてしまう。
列車の発車時間は23時20分とかなり遅く、それまでに何度もチケットの確認に行ったり、関西弁の話せるインド人さとしと話したりしてコルカタでの時を過ごす。
なんとかチケットを受け取り、駅へと向かう。インドの列車は遅れるのが常と聞いていたが、列車はほぼ予定通りに出発。
乗り込んでまず思ったのは、
えっこれに乗るの…?
席は三等(もちろん1番安い)の指定席。
自由席と比べたら倍以上の金額するんだからと、彼は指定席のほうにしてやったぞ、くらいの気持ちでいるようだけど、インドの列車が初めての私にとっては結構衝撃。

さっきトイレに行った人の足がこっちにあったかもしれない…
とか考え出したらきりがない。
トイレといえば、駅のトイレに入ったらトイレに住んでる人がいて、2だと指を出されたから有料トイレなのかとおもって2ルピー払ったら彼に怒られた。
知らんがな。
知らんがなの事で怒られた事と、これに乗るんかいという衝撃を私は受けていた。
それなのに、インドはこんなもん、と自分だけ2回目の経験の彼はさくさく荷物を置いたり寝床を作ったりを進めていて、荷物をチェーンでとめろとか、そんなとめ方じゃだめだとか、心なしか冷たい気がして、なにさと思う。
こんなにインド人だらけのとこで寝るだけでも不安なのにさ。ちょっとくらい優しくしてくれたっていいじゃんか。
なんて拗ねながらも疲れと眠気が勝ちすぐに熟睡。
文句をたくさん思った割に、今まで乗って来た寝台バスよりだいぶ快適に眠れた。
朝は寝過ごしたら大変とアラームをかけていたが、そんなもの必要ないほどまだ6時前だというのにたくさんのチャイ売りや新聞売りが声をあげていた。
外は既に明るい。晴れていることに安心して、彼を起こす。
列車はほぼ予定通りに到着。
しかし駅で辺りを見渡してみるが、来るはずの迎えが来ない。元詐欺師さんがアーユルヴェーダのことを教えてくれるという人が迎えにきてくれると言っていたのに。
30分待っても来ないし、待っている間も物乞いがかなりしつこくて朝からぐったり。 彼は無視するしかない、というが、なんとなく無視は嫌だ。
でも一度話してしまうとなかなか離れてくれず、嫌だとも言ってられない現実にも気づく。
物乞いを職業としているのだから仕方がないのだろうが、私は老人だろうが障がい者だろうが、子持ちの未亡人だろうが、なにもせずに金くれ金くれという人たちにお金をあげるのは絶対に嫌。
バスキングをして稼いでいるのとはわけが違う。
やっぱり無視するしかないのか…と少し悲しくなりながらも、このまま待ってもお迎えが来るかわからないので、仕方なくトゥクトゥクでブッダガヤへと向かう。
ここからも道のりは長いんだわ。
トゥクトゥクに2人で100ルピーで交渉。
私が思っていたよりずっと遠かったので、これで100なら安いのでは、と思ったけれど、彼曰くそうでもないらしい。
疲れもあって、ぼーっと外を眺めていると、なんだかきらきらした場所に心を奪われる。
何があるって、樹や草や水やレンガがあるだけで、何があると言うわけではないのだけれど、そこに広がっている空間が、何故だかきらきらしているのだ。
きらきら、も少し違うかな。
なんか、すぐそこにある景色なのにすごく遠くにあるようにも見えるというか、ずっと続いているんじゃないかって心が開放される感じというか。
ここすこい…!
と感動していると、
「ここはピースフルプレイスだよ」とトゥクトゥクの運ちゃん。
なんでピースフルプレイスなのかは分からないけど、そんな理由は分からなくたって、ここがピースフルプレイスなのは空気で分かった。
この日心から落ち着けたのはこの瞬間のみ(笑)
そのあと運ちゃんに色々な宿に連れていかれ、確かに綺麗そうだけれど500ルピー以上の高い所ばかり。
一つ、本当は1100ルピーだけど、シーズンオフだからまけてやると500ルピーにしてくれた、かなりきれいなところがあった (私はトゥクトゥクで荷物番として待っていたので中は見てないけど) のだが、彼が300ルピーをゆずらず、汚くてもいい、最悪壁があればいいと言って それならばと見せられたのが廊下だったらしい。
戻ってきて彼が一言。
「ここ、廊下なら300ルピーだって。どう?」
…
どう?じゃねーよ(笑)
廊下に300ルピーも払うわけ?
と空腹と疲れも伴い静かにキレる私。
却下。
結局その後300ルピーで、さらになんとなんと、バスタオルと石鹸と蚊取り線香をくれた!インドでバスタオル借りれるとはっ!というゲストハウスになんとかたどり着く。
そして部屋を見て気づいたこと。
あれっ?シャワーなくない?

と彼。
またきたよ。この、当然ですが何か?的なやつね。
ふんだ。分かりましたよ。
とりあえずかなりお腹が空いていたので荷物をおいて宿を出る。
昔行っていたというチベタンのレストランを探す。
と、なんか宿のスタッフがついてきた。
ここが僕の家なんだ。
どうぞどうぞ…
とあれよあれよとお家にご招待される。
いやっ…ご飯食べたいんだけど…
家族の紹介や自分が日本人が建てた学校で先生をしていることからペットのウサギの紹介までありとあらゆる自己紹介をしてくれる。
なぜかNHKやトムジェリまで見せてくれて(お腹すいたんだけど…)
じゃあそろそろ…
と出ようとすると、チャイを作ってるから、と待たされる。
チャイとベビースターラーメンのようなものをご馳走になり、いよいよ出ようとすると、今度はもっと日本語が堪能な宿のオーナー(お兄さん)が帰ってくる。
アーユルヴェーダの例の人の所へ行きたいと名刺を見せると、バイクで連れて行ってくれるそうな。
この一つ一つの優しさが有難くもあり、同時にお金はどういうつもりで言ってくれているのかなぁと警戒せざるも得ない事もあり疲れもする。常に優しさをそのまま受け取れなくなっているのが悲しい。
アーユルヴェーダの人の所へ着くと、迎えに行ったのに、列車が遅れてると勘違いして未だに運転手が駅で待ってると言われる。
我々もだいぶと待ってたんだけどな。
期待したほどの情報も得られず、預かったバックを渡して(さほど興味もなさそうにポイっと投げていた)多分これでその人とはさようなら…。
ふぅ…疲れた。
マハーボディーを外から眺め、今日やっと最初のご飯にありつけたのはお昼になってから。
手書きで値段が直してあって、40ルピーに見えたのに60と言われる…。
はぁ…。もういいよ。
道を歩いていると物乞いも多いし日本語話せて勧誘してくる人も多いし犬も多いしヤギも多いし豚も多いし牛も多いし糞もそこらじゅうにあるし。
てか、牛の糞落ちすぎでしょ…
頑張ってよけてあるく。
例えばこれを踏んだとして、その靴で宿に帰ったとして、その靴で踏んだ場所にリュックを置いたとして、そのリュックを寝台列車でまくらにしたとしたら結果として顔に… とか、もう考えてもどうしようもない想像が広がる。

宿の裏には牛小屋があるからか、かなり多い。
今日一日で見た事のない虫をなん匹みたことか。
暑すぎてドアを開けていたら、気づいたときには時すでに遅し。
白い所に集まるさまざまな虫。
ベッド大惨事。ベッドバグはまぎれてないことを願う。
やっぱりインドは疲れるし桁が違う。
疲れた心をめんつゆで和えたオクラご飯を作って癒す。
明日は頑張れるかなぁ。
—From the present me
この時唯一心が癒されたピースフルプレイスは本当に幻想的で、今でも覚えている。
過去の日記を読んでいたらすっかり当時の彼にイライラしてしまったので、ピースフルプレイスを思い出して心を落ち着けている。
今はすっかりウェットティッシュで除菌しまくってしまう私。
この生活でも生きていけてたんだよな。ついつい拭けるならば拭きたくなってしまう。除菌しすぎも考えもの。
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