12-25.08.25『豪雨の夜と車窓からの景色』

旅のエッセイ
  このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
  当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
  あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.08.25『豪雨の夜と車窓からの景色』

チェンマイもチェンライも、夜の23時頃になると豪雨になることが多い。

メーサイに来てみると、川はすでに増水気味で水が地面にかぶっているところもあり、不安がよぎる。案の定、その夜も23時頃から豪雨になった。

22時前には布団に入っていたけれど、布団が硬くて身体が痛いのと雨音で目が覚める。彼は例によって起きない。この図太さは少し羨ましい。雷もこんなに鳴っているのに。

二階だから大丈夫だと思いつつも、浸水に備えて荷物を机や椅子の上にまとめる。そうしているうちに雨は少しずつ弱まり、やっと眠りにつけた。

朝起きると川は氾濫しておらず、ほっと一安心。

好きになったメーサイを後にして、187バーツの少し高めのバスでチェンマイへ。眠れずに外を眺めていると、見飽きたはずの田園風景に素直に感動している自分がいた。

今日は空もすごく素敵で、綺麗な雲がたくさんあった。
ラピュタの音楽が頭の中に流れてくる。大きな虹も見られて、心が穏やかになる。

今日の空だけ特別に綺麗だった、なんてことはないだろうから、きっと最近の自分が自然に心を開けていなかったんだろうな。チェンマイやバンコクの都会に疲れていて心が荒んでいたのかもしれない。

どこにいても、何も考えずに空を眺めるような時間を持てれば、心はすり減らないのかもしれないな。

  —From the present me

どこにいても素敵な景色はあるはずなのに、気づけばただの「変わらない風景」としてしか認識できていないことがある。

心に余裕がなくなると、世界から何も受け取れなくなってしまう。
今の自分もそうなりがちで、意識的に「その瞬間にしかない存在」に目を向けようとしないと、日々はただ取り立てて変わらないものとして過ぎ去ってしまう。
やるべきことをきちんとこなしながら、同時に世界に心を開き共鳴していくこと。その両立は、13年経った今も変わらない課題。

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