12-25.08.06『無感動症候群』

旅のエッセイ
  このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
  当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
  あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。

12-25.08.06『無感動症候群』

大抵の長期旅行者が陥るという無感動症候群になった。

移動移動の疲れもあってか、
自然をみすぎたこともあってか、

寺院を見ても、風景を見ても、山も川も、さほど感動はなく、同じに見える。

そろそろ目的のあるインドに行く時がきたかな。

  —From the present me


ルアンパバーンに到着しているはずで、いつもだったらこの街はこうだ、くらいの感想は日記に書いていそうなのに、ルアンパバーンについて日記で一切触れられていない。

海外にいたら全てが真新しくて新鮮でキラキラして見えると思いきやそんなことは全くなくて、
見慣れない寺院も数箇所まわれば同じに見えてしまったり、自然の中も数日いれば不便さの方を感じるようになる。

日本にいたって、毎日の日常だって、全くの同じは一つもないはずなのに、同じと括って容易に飽きてしまう。

先日フォトウォーク企画に参加させていただいた。
好きだなぁという写真家さんたちがその日に撮った写真の投稿を拝見して、なんとも言えない気持ちになった。

同じ場所にいたはずなのに見えていなかった世界が多すぎること
同じ場所を撮っているのに、画角から切り取ってしまっていた魅力的な部分。

プロフェッショナルな方々の写真を見た時の現像の素晴らしさは、素直に、勉強になる!学びたい!と自分の未熟さを知れてわくわくするのに、
その場所にいたのに認知さえできていなかった部分や、認知はしていたのに魅力をとらえられていなかった部分に関しては、すごいなぁという尊敬や憧れと一緒に悔しさみたいなものが強くて、
あぁ自分は日常から特別を見つけることを大事にしているんだなと改めて思った。

「目的」はあった方がいいけれどたくさんはいらなくて、目的で埋まってしまうより目的に行くまでの寄り道や余白を楽しめたり愛でたりできる状態でありたい。
素敵にたくさん気づけるように。

明日の日記はこちらに続く

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