このエッセイは、13年前に書いた旅の日記を、現在の私が振り返りながら綴っている連載です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
当時の彼(いまは元夫)と一緒に出た、東南アジアからインドまでの貧乏バックパッカー旅。
あの頃の自分に、今の自分の言葉を重ねていくような、ふたつの時間をめぐる記録です。
12-25.08.05『むあんくあからルアンパバーんへ 守れなかった座席と罪悪感』
長閑で癒されたむあんくあとも今日でお別れ。
8時半発のバスに乗るべく、トゥクトゥクでバスターミナルに向かう。
ターミナルに着くとすでにたくさんの人。
もう座れないのでは?と不安に思ったけれど、ギリギリなんとかあいていた座席に滑り込む。
走り出したバスは山路をどんどん進んでいく。外を眺めていると木造で味のある素敵なおうちがたくさん!
やっぱりこういう長閑なとこの方が好き。
ぼんやりと外の景色を楽しんでいたら、3時間ほどであっという間にウドムサイに到着。
ウドムサイはわりと大きな街で、建物やお店は中国色が強かった。
ここで一泊しても面白くなさそうだったから、一旦のどかなむあんくあで一休みすることにして良かった!
このままバスを乗り継ぎルアンパバーンへ。
…
行きたいのだけど、次のバスが14時発とのこと(>_<)
今11時半。
出発まで2時間半もある(/ _ ; )
そんなに時間があったら少し街をぶらっとでもしたいけれど、大きな荷物をバスに預けちゃっているからここから離れるわけにもいかないし、しかもみんな早々に席取りをしていて、既にほとんど埋まっているので、私たちも座席キープ。
隣の座席をキープしていたラオス人の親子。子どもが人懐っこくて可愛いし、パパが英語が話せて少しだけれど会話を交わす。穏やかで優しい素敵な方だった。
バスはクーラーなんてもちろんないので、とても暑い。
ずっと中で待機しているわけにもいかず、出たり入ったり。
やっとこさもう少しで出発、というときになって、
え、ほんとに乗るの?ツーリストバスじゃないけどいいの?
という感じの、綺麗な格好をした、「旅」というより「旅行」という雰囲気のフランス人のおじいさんおばあさんと孫?が乗ってきた。
このバスの乗客は私たちとその人たち以外はおそらくみんな地元民。
既にほとんどの席に荷物が置いてあって席取りしてある。
そこへ、そのフランス人がきた。
私たちの隣の素敵なラオス人の席に!
ラオス人のパパももちろん上着とフルーツを置いてちゃんと席取りしてあって、まさかここに座らないよね?!と驚愕した私も拙い英語で、
ここはすでに1人いる、荷物もあるじゃん!
と言ったのに通じなかったのか無視なのか、その席にじいさんが座る。
なんという自己中!!
2時間以上前から待っていたのに!
しかもその席なら、パパが子供をだっこしなくても、荷物のダンボールの上に子どもが座れるベストな席だったのに!!
後からそのラオス人の親子が乗ってきて、席がない事に気づき、空いてる別の席に座る。
座席はもう残り1席しかなかったみたい。
座席確保のためにおいて置いた荷物をとりにきたときも、そのフランス人は何も言わない!
ラオス人のパパも文句も言わずにスッと荷物をとって去る。
なんだか私たちも、席を守れなかった事に対しての罪悪感に落ち込む。
席がとられたことに気づいた時の顔に胸が締め付けられる。
パパごめんなさい。
こういう時何もしてあげられないことがすごく悲しいしずっと胸の中に染みみたいに気持ちが残る。
けれど、何もしてあげられなかったのは英語が話せないことだけが理由じゃないとも思う。
日本だとして、日本語が通じるとして、見ず知らずの人のためにおかしいことをおかしいとちゃんと言えるのかあやしい。
優しい人が損をしない世界だったらいいなと思うけれど、そうだったらいい、と思うだけでそのために何かできるほど強くも優しくもなくて、
たまたま自分の周りが優しい世界だったから強く主張をしなくても成り立ってきただけで、当たり前と思っていた道徳観のようなものが同じではない世界では通用しないし、一つの正解があるわけでもない。
ラオス人のパパの複雑な表情を思い出しながら、たとえ席をとられていたのが自分でも何も言えなかったかもしれない、と、不条理と思えることにあってしまったときにどうするのがいいんだろう、自分はどうしたいんだろう、とぼんやりと思う。
8時半発のバスに乗るべく、トゥクトゥクでバスターミナルに向かう。
ターミナルに着くとすでにたくさんの人。
もう座れないのでは?と不安に思ったけれど、ギリギリなんとかあいていた座席に滑り込む。
走り出したバスは山路をどんどん進んでいく。外を眺めていると木造で味のある素敵なおうちがたくさん!
やっぱりこういう長閑なとこの方が好き。
ぼんやりと外の景色を楽しんでいたら、3時間ほどであっという間にウドムサイに到着。
ウドムサイはわりと大きな街で、建物やお店は中国色が強かった。
ここで一泊しても面白くなさそうだったから、一旦のどかなむあんくあで一休みすることにして良かった!
このままバスを乗り継ぎルアンパバーンへ。
…
行きたいのだけど、次のバスが14時発とのこと(>_<)
今11時半。
出発まで2時間半もある(/ _ ; )
そんなに時間があったら少し街をぶらっとでもしたいけれど、大きな荷物をバスに預けちゃっているからここから離れるわけにもいかないし、しかもみんな早々に席取りをしていて、既にほとんど埋まっているので、私たちも座席キープ。
隣の座席をキープしていたラオス人の親子。子どもが人懐っこくて可愛いし、パパが英語が話せて少しだけれど会話を交わす。穏やかで優しい素敵な方だった。

ずっと中で待機しているわけにもいかず、出たり入ったり。
やっとこさもう少しで出発、というときになって、
え、ほんとに乗るの?ツーリストバスじゃないけどいいの?
という感じの、綺麗な格好をした、「旅」というより「旅行」という雰囲気のフランス人のおじいさんおばあさんと孫?が乗ってきた。
このバスの乗客は私たちとその人たち以外はおそらくみんな地元民。
既にほとんどの席に荷物が置いてあって席取りしてある。
そこへ、そのフランス人がきた。
私たちの隣の素敵なラオス人の席に!
ラオス人のパパももちろん上着とフルーツを置いてちゃんと席取りしてあって、まさかここに座らないよね?!と驚愕した私も拙い英語で、
ここはすでに1人いる、荷物もあるじゃん!
と言ったのに通じなかったのか無視なのか、その席にじいさんが座る。
なんという自己中!!
2時間以上前から待っていたのに!
しかもその席なら、パパが子供をだっこしなくても、荷物のダンボールの上に子どもが座れるベストな席だったのに!!
後からそのラオス人の親子が乗ってきて、席がない事に気づき、空いてる別の席に座る。
座席はもう残り1席しかなかったみたい。
座席確保のためにおいて置いた荷物をとりにきたときも、そのフランス人は何も言わない!
ラオス人のパパも文句も言わずにスッと荷物をとって去る。
なんだか私たちも、席を守れなかった事に対しての罪悪感に落ち込む。
席がとられたことに気づいた時の顔に胸が締め付けられる。
パパごめんなさい。
—From the present me
こういう時何もしてあげられないことがすごく悲しいしずっと胸の中に染みみたいに気持ちが残る。
けれど、何もしてあげられなかったのは英語が話せないことだけが理由じゃないとも思う。
日本だとして、日本語が通じるとして、見ず知らずの人のためにおかしいことをおかしいとちゃんと言えるのかあやしい。
優しい人が損をしない世界だったらいいなと思うけれど、そうだったらいい、と思うだけでそのために何かできるほど強くも優しくもなくて、
たまたま自分の周りが優しい世界だったから強く主張をしなくても成り立ってきただけで、当たり前と思っていた道徳観のようなものが同じではない世界では通用しないし、一つの正解があるわけでもない。
ラオス人のパパの複雑な表情を思い出しながら、たとえ席をとられていたのが自分でも何も言えなかったかもしれない、と、不条理と思えることにあってしまったときにどうするのがいいんだろう、自分はどうしたいんだろう、とぼんやりと思う。
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